大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
民間語源 |
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私:語源論を論ずるのに避けて通れないのが民間語源の問題だね。民間語源という言葉そのものは学術語といってもいいが。 君:民衆に広く信じられている語源説ではあるものの実は学問的には間違い、というのが民間語源よね。 私:よく引き合いに出されるのがタワケ。 君:おバカさんという意味は良いとして、民間語源は田分けが有名ね。兄弟の人数分だけ財産分与してしまうのは愚かな事の戒めとして広く信じられているのじゃないかしら。 私:民俗学の問題としてとらえると、あれこれ民間語源を目にする事があっても、いちいち腹を立てる気持ちにならなくて済む。 君:ほほほ、本当は腹立たしい癖に。 私:確かに。全然腹立たしくないと言えば、嘘になる。田分けの心を事問わば、親としては次男以下が財産を主張する事をとことん嫌い、先祖から受け継いだ財産を長男独りに全て一括で相続させたい、と言う気持ちから出た民間語源だ。 君:たわけ、の語源は、動カ下二たはく戯・淫の連用形たはけ、なのよね。 私:その通り。実は江戸文学には正しい意味で「たはけ」が出てくる。一代男、好色盛衰記、狂言記、等々。つまりは江戸初期には田分け説という民間語源は存在しなかった。 君:西鶴様も「たはけ」が後世に「田分け」の当て字になってしまった事をお知りになればビックリなさるわよね。 私:そりゃそうだろう。ところで「たはけ」の振り仮名だが、柳多留あたりでは「たわけ」になってるぜ。 君:ハ行転呼したのね。 私:そうなんだよ。ハ行転呼は平安時代の専売特許じゃないって事だね。でも「たわけ」は戯の字があてられているし、「たわけづら」の語は戯面の漢字があてられている。つまりは柳多留の時代の時点で言える事がひとつある。 君:ほほほ、まだ田分けの民間語源は生まれていなかったに違いない。 私:その通り。ひとつ考えられる事は、なにせ民衆だからね、戯の字の画数が多すぎる・そうだ・田分の漢字にしてしまおう・意味もあっているし、という事で柳多留の時代の後に田分説が生まれたのじゃないかな。 君:ほほほ、なにも裏付けがないわよ。それこそ左七語源ね。 私:まあ、そう言われても仕方ないが、という事で話題を変えよう。飛騨や木曽で有名なお土産に「ごへいもち」がある。 君:なるほど。お土産屋さんには「五平もちあります」と書かれているのね。 私:その通り。そして「ごへいもち」の語源と言えば、その昔に五平という男がいて、彼が餅を最初に作ったから、という伝説が作られちゃうんだよね。 君:真実は御幣餅ね。 私:その通り。木こりさんが山で神事を行う時に山の神様にお供えした餅。御幣の形をしている事から御幣餅。ただし御幣は画数が多いので、お土産屋さんも、面倒くさいなあ・別に五平の漢字でもどうって事ないでしょ、と御幣を五平に変えてしまった事による。 君:ただし、それも何の裏付けもないので、それこそ左七語源ね。ほほほ 私:まあ、なんとでもおっしゃってください。最近は反駁するのが面倒くさくなって、有難い事に幾ら貶されても腹が立たなくなってきた。 君:民間語源にもそれなりの理屈がちゃんとあるのは民俗学的というよりは心理学の命題じゃないかしら。 私:おっ、良い事いうね。再び飛騨方言の実例で行こう。げばす。 君:失敗するという意味の動詞ね。五段活用。語源はカケハズスだったかしら。日葡に記載があるのね。 私:飛騨の民間語源としては「下馬する」説が有名。でもこの民間語源発生の理由を心理学的に説明する事が可能だ。 君:ほほほ、簡単に説明してね。 私:飛騨の民衆は「下馬する」という動詞は「かっこよく馬を降りる」という意味である事を知らなかったんだ。 君:なるほど。「下馬する」という音韻をうろ覚えしていて、これを「落馬する」の意味であろうと勘違いしてしまったのね。 私:要はそういう事。飛騨の人々はゲバスという動詞を「落馬する」つまり「大失敗する」の意味で用いるが、「げばす・げばする」は音韻が似ているので、「げばす」の語源は「げばする」なのでは、と思ってしまった。 君:無邪気と言えば無邪気。でも救われないわね。 私:ゲバスの語源解釈をゲバイテしまったんだ。でも仕方ないよ。明治の飛騨の人達って大半が尋常小学校卒。 君:あなた、間違っても、僕は(多分、岐阜県でひとりだけかも)角川古語大辞典全五巻を私蔵していて古語の事を毎日のように研究しています・しかも民間語源のあら捜しが大好きです、などと世間様に吹聴しちゃだめよ。 私:そんなゲバイタ事を僕は言う訳が無いじゃないか。あくまでも君と僕との内緒話だ。 君:ならば良し。人をあげつらう事は人間として失格、大失敗の事を飛騨では、おおげばし、というのよね。ほほほ |
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