大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
簡単に地雷を踏む学問、語源学3 |
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私:先ほどだが、鈴木正三、1645年(明暦1)没、の著・驢鞍橋(ろあんきょう)がアマゾンから届いた。岩波文庫(1948)。つまり活字。ざっと読んでみたが、実は「でかい・でかひ」の語彙が何か所か見つかった(e.g., p14-L2, p18-L8, p29-L8, p80-L6, etc.)。文脈からして「おおきい・だいそれた」のような意味。つまりは形シク「いかし厳・偉」に接頭語「で」がのっかっている形容詞である事がわかった。 君:つまりは「飛州志」と「ひとりね」の半世紀前に既に「でかい」があり、驢鞍橋に記述があるのを確認できたという事ね。 私:その通り。ざっくり言えば同じ時代と言えなくもないが、「でかい」が飛騨で生まれて全国に広まったのでは、という飛騨方言ファンタジーは崩れ去った感じだね。 君:どこで「でかい」が生まれたのかしら。 私:三河方言の可能性が高い。あるいは尾張方言。鈴木正三は三河の出身。驢鞍橋は方言を交えた筆致である事から、正三自身、「でかい」を方言とは思わず、書を著したのだろう。 君:当時には国学、漢文などがあったけれど、方言学というものは無かったのよね。 私:その通り。飛騨と尾張は距離が近いので、飛騨方言「でかい」は尾張方言の影響と考えるとわかり易いね。或いは、奥三河・木曽・飛騨は東海東山方言で同じ方言圏でもあるし。 君:甲斐の「ひとりね」はどうかしら。 私:飛び地だからなあ。全国共通方言といったところか。 君:ほほほ、屁理屈をひとつ考えたわよ。 私:えっ、どういう事。 君:長谷川忠崇の飛州志(1728)は鈴木正三1645年(明暦1)没の驢鞍橋より出版は遅れたけれど、飛騨方言も三河方言も共に中世語として同時代に存在していたのじゃないかしら。 私:なるほど、その通り。それに幕府のスーパーエリートが公文書に残すという事は、余程の気持ちがなくては出来なかった事だろうしね。 君:つまりは真相は闇の中のようね。 私:つまりは語源学にとって語誌の半世紀の違いは誤差範囲内というわけだ。僕達ふたりだけが驢鞍橋と飛州志の「でかい」の記載に気づいたのも家内には申し訳ない感じ。ちょっとした発見だが、君と共有出来て幸せだ。もっともね、早速に今夜の夫婦の会話になりそうだ。それにしても吉田金彦先生の、日本語ことばのルーツ探し、祥伝社黄金文庫、p47-50 デカイ、の凡ミス記事は残念だね。 君:何か発見があれば書き換えが必要、当サイトも同じ事なのよ。明日は我が身の宿命かも、お気をつけ遊ばせ。ほほほ |
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