大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
民間語源と単語の三要素 |
戻る |
私:先だって提唱してみた語源候補となる単語に必須の三要素(音韻、意味、アクセント)について、正解にたどり着ける単語・つまり語源そのもの、と正解にたどり着けない単語・つまり民間語源、この両者との関係を表にしてみた。
君:語源にたどり着くのに際して重要なのは意味とアクセントを考える事であって、実は音韻は異なってしまっている事が多く、音韻だけで語源にたどり着こうとしても限界がある、という意味ね。 私:正にその通り。つまり、言葉というものは音韻が徐々に変化していくが、意味・アクセントは変化しない。これがソシュール学で教えるところの通時性というわけだ。有難い事に日本語の音韻変化には規則というものがある。考え詰めれば音韻から語源を探る事は不可能じゃない。参考程度とはそのような意味と理解して欲しい。ただし一番に手ごわいのが語頭のモーラの脱落。こうなるとお手上げに近いのも事実。 君:ほほほ、音韻すら変化しなければ語源もなにもあったものじゃないわよね。和語が典型で、古代も現代もカワ川はカワ。 私:そう。現代人がカワの語源がわからないのと同様に、古代人にもカワの語源はわからない。古代人も現代人も考える事はひとつ。 君:つまりは、古代からカワはカワだった、という事ね。実は古代人にも古代人はいた。ほほほ 私:その通り。その一方、日本語の音韻がいつからどのような形で変化したのか、これを考えるのが語源学で、方言学そのものといってもいい。逆に、何も考えないのが民間語源だ。これを辛辣な言葉ひとことで表現する事ができる。 君:うーん、例えば、思考停止。 私:その通り。落語の世界。ヤカンの語源は矢がカーンと当たったから、とか。ツルの語源はその鳥がツーッと飛んできてルッと木に留まったとか。あくまでも左七という一個人の心情のお話だが、語源の探求は外来語で真骨頂を発揮する。勿論、外来語というのは漢語、仏教用語の事だ。 君:つまり民間語源は落語の世界ね。千早ちゃんに振られてしまったお相撲さん竜田川。ほほほ 私:僕も人間だ。少しくらいは民間語源をほめてあげたい。思考停止というよりは直感重視。なによりも民間語源とはユーモアそのもの。楽しい世界だ。 君:なるほど。ユーモアはともかく、学問で最も大切なのが直感そのものね。第一に、ほんの数分で書き上げる当サイトの文章だって、実は左七の直感を書きなぐっているだけなのよ。ほほほ 私:演繹というんだよ。形而上学とも言う。要は理論が大好き。ここは読みにいらっしゃった人だけが得をする方言エンタメ系サイト。既述になるが金沢大学文学部の学生さんがご訪問なさった事がある。授業より面白いとのお世辞を頂いた。僕はユーモアは好きだが、帰納的学問や形而下学は大嫌いだ。 君:ほほほ、それにしても三千ページ超とは随分と書いたわね。これだけ書けば見えてくる世界もあるのに。言っている事とやっている事が矛盾しているわよ。ほほほ |
ページ先頭に戻る |