大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
上一段動詞命令形「よ・ろ」 |
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私:京都では「起きよ」、東京では「起きろ」という。飛騨は「起きよ」だ。 君:ほほほ、この違いはとても簡単だわよ。皆様が直ぐにお気づきのはず、文語と口語の違いよ。 私:その通りだね。口語というよりは近世の江戸語というべきかな。明治時代になって時の政府の文教政策によって、江戸方言を標準語と定め、上一段動詞の命令形は「ろ」と定められ、全国に広まったという事だったかね。戦前の文教政策については少し学び始めたばかりなので改めて章を立てて議論を開始したいと思っている。ところで垣内松三のお名前をご存じかな。 君:戦前の国語学者ね。斐太中学第七回生、四校、東京帝国大学、著書は無数、弟子が全国に数千人。私達の大先輩よ。高山のご出身。 私:その通り。もう一人、戦前戦後の方言学の権威、富山大学元教授で故・都竹通年雄氏がいらっしゃる。萩原のご出身。 君:江戸時代には本居宣長の一番弟子で田中大秀。高山出身。 私:脱線している。話を文語と口語に戻そう。しかも今回は上一段と上二段のお話に絞ろう。上一と言えば入試のツボがひとつあるね。 君:ええ、豆知識だけど、その数がたった六個という事。他は皆、上二段動詞よ。 私:そう、六個の上一段動詞といえば、着る、似る、干る、見る、射る、居る。たったこれだけ。そして上二段古語動詞(命令形「よ」)はウ列がイ列に移行して口語上一段(命令形「ろ」)に移行してしまったが、上一古語動詞はすんなりと口語上一動詞に移行した。もっとも、命令形「よ」とて詩歌・和歌などの文語的表現として現代語としても立派に通用するから、口語命令形の形と言えなくもない。でも公文書等で用いられる事はないんじゃないかな。 君:あなたのその説明では、明治になって全国一斉に命令形「ろ」になったようなニュアンスだわよ。 私:失礼しました。近世に至るまで上方方言としては命令形「よ」、江戸の言葉としては命令形「ろ」の対立があって、大雑把に言うと全国を二分していたという事だ。ただし上一命令形は上方方言では更に発展して現在では「起きい」「起き」があり、つまりは「起きよ」を含めて三通りであるし、広く九州と新潟・秋田・山形辺りには「起きれ」の形の命令形がある。 君:「起きよ」「起きろ」の東西の境はどこかしら。 私:これも国研地図が確かあったかね。北陸全部と岐阜・愛知の全県及び静岡県の西半分が京都と同じく「起きよ」なんだ。 君:つまりは飛騨は「起きよ」で信州が「起きろ」なのね。 私:その通り。自然地形が上一段命令形を分けている。静岡県も実はそうだ。 君:あらいやだ。静岡県は川を境に東西に分かれているという意味なのよね。 私:おっ、するどいな。静岡県の方言資料があるが実は或る川を境に西は「起きよ」、東は「起きろ」という分布なんだ。もっとも戦前の話だね。橋が架かり人々の行き来が自由な現代では想像が難しいと思う。 君:その川って若しかして大井川かしら。箱根七里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川。 私:そういう考えを「江戸幕府に洗脳されている」と言うんだよ。残念ながら大井川では無い。富士川だ。 君:へえ、そうなのね。 私:キーワードを教えよう。静岡県、河川、氾濫、歴史。 君:ネット検索ね。・・あらら、富士川ってかつては凄い事になっていたのね。正に静岡の人々の苦難の歴史、というか、富士川界隈はいつ氾濫するかわからないような場所で、とても人々が安心して住めるような場所ではなかったのね。 私:その通り。静岡県において「起きよ」「起きろ」の境界が出来た唯一の原因だ。飛騨・長野の境とて同じ事。北アルプスは冬季は一切、ひとを寄せ付けない。冬は勿論、夏とて北アルプスは雷鳥しか住めないよ。岐阜県の鳥だ。飛騨山脈はとても人が住める場所ではない。私が生まれ育った久々野町大西村は北アルプスの麓とは言え、近くは里山ばかりで、縄文遺跡がここかしこにあるような土地柄だ。縄文時代は気候が温暖で飛騨にほとんど雪が降らなかった事も判明している。 君:あらそうだったの。飛騨全体が現在の南飛騨の気候だったのね。ところで九州や日本海の「起きれ」という命令形についてはどうかしら。 私:全国の方言資料をつぶさに見ているわけではないが、朝倉日本語講座10方言によれば、近世から既に「起きれ」であり、これは「取る」「知る」の四段活用命令形「取れ」「知れ」等に引かれて四段化した現象、いわゆる誤れる回帰、いわゆる地方方言文法によるものとされている。新発田藩士講義録等の公文書にも記述のある形だそうだ。 君:なるほどね。ひとつ思い当たるわ。一段活用で。 私:?・・もっとヒントをお願い。 君:「シュート」。 私:・・わかったぞ。下一段動詞「蹴る」だ。下一・二段動詞多しといえども下一段古語動詞に限っては「蹴る」の一個だけ。あとは全て下二段動詞だ。上一古語動詞で六個しかないと言ったけれど、下一段古語動詞は「蹴る」のひとつだけ。そして「蹴る」は口語では五段動詞に変化している。これも「照る」自ラ五(自動詞ラ行五段)の命令形「照れ」辺りにつられて五段動詞に化けてしまったのだろうね。 君:無数といってもよい数の動詞だけど活用が変化する事は普通は有り得ないのよ。 私:ははは、そこですぐに思い出すのが飛騨俚言動詞「げばす(失敗する)」自サ四だ。 君:そうね。語源は「かけはずす」自サ四。 私:民間語源だと「下馬する」自サ変かもね、と勘違いしがち。 君:ついでにワンポイントレッスン。上二段古語動詞でたった一個だけ五段に変身した動詞があるわよ。 私:上二から五段か。想像できないな。ヒントをお願い。 君:裏を見ろ 私:裏を見ろ?? 君:裏見ろ。 私:うらみろ? 君:恨みよ。 私:なあんだ。そういう事か。「恨む」上二の命令形は「恨みよ」。ただし口語では命令形が「恨め」になったので、上二段古語動詞「恨む」は口語五段「恨む」になったというわけか。なんだかその辺りもほじくれば方言ネタが出て来そうだね。何年かかっても探し当てたいね。 君:そういう事。 |
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