大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
いけない・あかん(2) |
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私:否定の助動詞「ない・ぬ」には明確な東西対立がある事は繰り返しお書きしてきた。大阪は、あかん。東京は、いけない。音韻的な対立も然ることながら、アクセントの対立もある事については、書き忘れていたようだ。 君:飛騨方言は畿内文法+東京アクセントだから貴方は、いけない、のアクセントはお手の物よね。 私:アクセント辞典があるし、NHK等の報道を聞けば明らか、「な」にアクセント核があり、中高アクセントだ。その一方、畿内方言「あかん」は頭高アクセント。たった今、複数の You Tube サイトを閲覧して確認できた。あるいは京言葉に特徴的な、最初の二拍が高高かも知れないね。いずれにせよ、関西人の人々には容易に発音できるアクセントという事になるが、東京人には難しいアクセントであり、飛騨人が関西人を真似てもニセ関西方言として見破られてしまうという訳だ。 君:飛騨人が東京人を真似る事はなんら問題ないのよね。 私:そう。アナウンサー、声優を目指す人が東京の学校に入学しても、たちまちにプロの技術をマスターできるだろうが、関西方言の学校ともなるとそうもいかない、という意味。 君:今日はなんだかつまらない、平凡なお話ね。 私:飛騨方言は畿内方言でもないし、東京語でもない。中部地方の言葉だ。同郷者同士では「いけない」はあまり使わないね。勿論、「あかん」は断じて用いない。使うなら「いかん」だな。しかも中高アクセントないし、尾高アクセントでしょ。絶対に頭高にはならないね。 君:「いかん」は江戸語じゃないかしら。 私:まあね。手元に講談社・江戸語大辞典がある。いかぬ、いかん、いかない、いかねい、いかねえ、いけぬ、いけない、いけねい、いけねえ、いけね、以上10種類の記載があった。「いかん」以外は断じて飛騨方言では使わないね。同郷者同士の会話でうっかりと「おっと、いけねえ」とでも言おうものなら、「左七、わりゃ何をいっとるんや、熱中症で頭がおかしょうなってまったんやろ」などと反駁されかねないね。 君:今日の結論は、飛騨方言は「いかん」、そしてアクセントは東京と同じく中高、あるいは尾高、という事ね。何の事はない、飛騨方言は江戸語と同じ、つまりは近世語であり、近代語「いけない」は日常語では用いられないという事じゃないの。 私:そうだったのか。僕達、飛騨人は江戸語のスペシャリストだったのか。なあんだ、そうか、という事はですね。 君:ほほほ、お察しの通りね。否定の「ない・ぬ」の東西対立は実は近代語における現象。近世語としては明瞭な対立は無かったという事のようね。 私:うん。その反面、近世語でも近代語でもアクセントの東西対立は明瞭で、飛騨は古来、東京アクセント。多分、上古、中世もそうだったのだろう。 君:おそるべしアクセント対立という事ね。ほほほ |
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