大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ハ行四段動詞の音便形の東西対立 |
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私:方言の東西対立は好きな人は根っから好きだね。東京対京都・大阪の言葉の違い。 君:中部地方はその狭間なので猶更、面白い話題なのよね。 私:今日は東京では「買った」促音便で、大阪では「買うた」ウ音便で話す現象について。 君:飛騨は東京と同じね。 私:ああ。三重県を含む西日本全体と北陸三県に新潟県までは「買うた」だが、愛知県・岐阜県から東は「買った」。つまりは白山と木曽三川を結ぶ線に東西の大境界がある。これは、上代の一つの言葉が長い日本語の歴史の中で東西に二分してしまった、という典型的なパターンだ。 君:あら、そうだったのね。つまりは元となる動詞は「かふ買」他ハ四(他動詞ハ行四段)だわよね。 私:その通り。現在形は東西ともに「買う」だから上代には東西とも「かふ」だった。 君:上代では、東西とも完了・過去タリを連用形に接続して「かひたり」とおっしゃっていて、方言の対立は無かったという事かしら。 私:その通り。厳密には「かふぃたり」のような音韻だった。これが東西で段々と崩れて、現代の「買った・買うた」に変貌する。 君:東日本で「かふぃたり」が「かった」に変化したプロセスはどうだったのかしら。 私:「ふ」の音韻が脱落したんだ。その結果、子音の連続が生じ、「かったり」の促音便の形が出来た。 君:「り」が脱落した理由は何かしら。 私:唇音退化だね。その結果が「かった」。たったのツーステップで促音便が、はい、完成。 君:では、西日本で「かふぃたり」が「こうた」に変化したプロセスは? 私:「かふぃたり」がハ行転呼で「かうぃたり」にまずは変化した。平安の京都音韻事件だな。つまりは事件場所は京都だった。東京は実は事件に関係なかった。 君:ハ行転呼は東国方言に影響を与えなかったという事なのね。続いての西日本の変化は? 私:これは東国方言と異なり母音「イ」が脱落した結果、「かうたり」に変化。 君:続いては。 私:唇音退化だね。その結果が「かうた」。 君:それは東国方言と同じね。 私:そうだ。続いてはアウ連母音のオ列長音化で「コータ」と発音するようになった。つまりウ音便。つまりはウ音便の有無はハ行転呼の有無が運命の分かれ道だったという事。 君:西日本のほうがステップを多く踏んているわね。 私:そのようだね。 君:西日本全体が「こうた」になった、その文化の源、ウ音便の発信地は京都よね。 私:勿論。 君:でも東日本で「かふぃたり」が「かった」になったのは京都と同時進行だったのかしら。江戸が出現するまで、東国は片田舎だったのだから、東日本に文化の発生源は江戸時代以前の鎌倉武士の時代かしらね。 私:その通りだね。 君:京都では公家様達がウ音便「こうた」を発明におなりで、鎌倉では武士達が促音便「かった」を発明なさったという事なのかしら。 私:当たらずと言えども遠からず。 君:近いと言えども当たらず。 私:三重県と愛知県だが陸続きなのに木曽三川でくっきりと「こうた・かった」の境になっているのに訳があるよね。 君:ええ。昔は湿地帯で河川の氾濫でその都度、地形が変わるような土地柄で、とても人が住めるような地域ではなかったからだわ。 私:そうだね。東海道も名前の由来は熱田・桑名間が実は海路だったから。つまりは現在の名古屋市の半分は埋め立てによって出来た人工の陸。 君:福井県と岐阜県の境はどうかしら。 私:油坂峠だね。それと九頭竜川。とても山深くて深山幽谷。昔は人が住むような地域ではなかった。 君:岐阜県の白川郷と富山県南砺市はどう。 私:これも深山幽谷。昔は人が住むような地域ではなかった。平家落人の五箇山があるだけの土地柄だ。 君:岐阜と富山の県境はどうかしら。 私:天生(あもう)峠に集落は無い。岐阜の神岡と富山の猪谷の間も、それはもう山深いところで深山幽谷。昔は人が住むような地域ではなかった。 君:地を這うように鎌倉の促音便が飛騨に伝わったとすれば尾張経由かしら。 私:勿論、そういう事になる。飛騨のお隣・富山は「こうた」の県だから。 君:律令制の時代に延べ数万とも、飛騨工がせっせと都と飛騨を往復した影響は無かったのかしら。 私:それを突かれると心が痛むが飛騨は東京内輪式アクセントで京都アクセントの影響は全くない。この際は大雑把に言わせていただくと、音韻・音便に関しては飛騨は東京スタイル、文法・語彙に関しては京都スタイルという事で、文法・語彙は京都から飛騨工によってもたらされた。 君:一理はあるものの、突っ込みどころ満載ね。ほほほ |
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