大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

"飛騨やんさ"をギターで

日本民謡と三味線は表裏一体、というより日本民謡は三味線であり、三味線は民謡です。 がしかし、民謡をフォークギターで、となると、ネット検索してもあまり発信はなく、飛騨からの発信もないような感じです。 代表的飛騨民謡・飛騨やんさについても然り、もともと三味線の曲ですから当然ですが。

そこで"飛騨やんさ"にギターコードをつけて見ました。なんとたったよっつ、 Am 、C、 Dm、 G ですので簡単です。 ギターをお持ちの方は、是非どうぞ。お祭り男・大西佐七は、更に大ボリュームでエレキギター演奏もやってみましたが、 なかなか、いい雰囲気がでました。やはり盆おどりはこうでなくっちゃあ! さて、歌詞の語数は、7+7+7+5 で、何のことはない、どどいつ と同じです。

また全く同じメロディーで五ヶ村音頭も、 よく歌われます。"色で迷わす、西瓜でさえも。中にゃ苦労(黒)の種がある。"以下、 当家のばあさまが私に、子守唄のようによく歌ってくれたものでした。 不肖・大西佐七は深夜にはエレキギターをクラシックギターに換えて、静かにアルペジオで弾いて見ました。 そしてしんみりと、つぶやくように五ヶ村音頭を歌うと、これはもう "ばあさま!!"の境地ですね。
Am    DmAm   G   Am  G     Am  Am  Am
やんさ踊りが 今始まるぞ  (ドッコイショ)
ソ ラ ドレレドラソ シシシシラ ミ レ     ラ   ラ   ラ
C     G   Am G    Dm  Am
ばばさ出て見 よ 孫だいて 
ミ ソ ラ シ シ ラミ レ  ソラレ ド ラ
  G   Am   Am    Dm    Dm       G  Am  Am  
(ハ エンヤサーノエンヤサーノ ドッコイショ)
  ソ  ラ   ラ ラ   ドレ   レ ミ   ソ   ソ ミ ラ ラ ラ 


今年しや豊年 穂に穂がさがる
ますはとりおき みではかる 

みのりよければ 稲穂の上で
みやれ雀も 一踊り 

音頭とりめが 橋から落ちて
橋の下でも 音頭とる 

拍子揃えて 品よく踊りゃ
はやし太鼓の 音もはずむ 

蝉が鳴く鳴く 千光寺山で
下保桐山 よいと鳴く 

下保桐山 よいとは鳴けど
どこがよかろか 山の中 

踊り踊って 嫁の口なけりゃ
一生後家でも かまやせぬ  

鳥も通わぬ 岳山なれど
住めば都に 思われる 

平湯峠が 海ならよかろ
可愛い殿御と舟で越す 

八重の山路 はるばるこえて
山の都の 高山へ 

祭ばやしの 太鼓の音に
黄金波打つ 名田たんぼ 

忘れられよか あのかみしもの
後姿の 男ぶり 

さあさ踊ろうよ 高山おどり
仕事帰りの そのままで 

招く柳に 呼ぶのは河鹿
君の涼みの 筏橋


五ヶ村音頭 色で迷わす西瓜でさえも 中にゃ苦労の種がある 親の意見と茄子の花は 千に一つのむだがない 年は取るまいもうろくはしまい 嫁にゃ世帯は渡すまい 小坂ひるまで萩原越して 下呂に宿るか湯の島に 竹に雀はしなよくとまる 止めて止まらぬ色の道 飛騨の高山高いとは云えど 山は高こない名が高い 飛騨の高山お城の御番 勤めかねたよ加賀の衆が 殿はとうすみ百姓は油 しぼり取られる殿様に 鳥はなぜなくまだ夜は夜中 明けりゃお寺の鐘が鳴る 輪島出てから今年で四年 もとの輪島に帰りたや しょっしょ処か今日今頃は 人の知らない苦労する 梅も八重じゃが桜も八重じゃ 何故に朝顔一重咲く 真の友達親よりやましよ 親に話せぬ事がある 平場峠の熊笹原で 誰か寝たよな跡がある いざり勝五郎車にのせて 引けよ初花箱根山 高い山から高木の木から 落ちよ松笠みをつけて からす鳴いても気にかけさんな 森の小鳥はいつもなく 桜三月あやめは五月 菊は九月の末に咲く おらが殿さのやれ番じやら お城太鼓の音のよさよ 歌ふ処と百姓の庭は 何時もどんどになるがよい 寺へ詣るよりや臼引なされ 二升と三升で五升になる 俺とお前はお蔵の米よ 何時か世に出てままになる 花も実もある古川町へ 嫁に行きたや花嫁に 合ひたさ五寸に見たさが五寸 胸につまって尺になる ねんねころりと寝てさえくれりや 守も楽じゃが子も楽じゃ いとし殿さに馬車追いさせて 押してやりたい神原を 小さい町でも宮川荒城 二つ流れる古川よ ここは天領お米の産地 とてもここでは喰いきれぬ 並ぶ土蔵の瀬戸川歩きや 明日もおいでと鯉がよぶ 一夜ござれよこ夜ござれ 七重桜に八重ござれ  高い山から谷底見れば 茄子や胡瓜の花ざかり 梅も桜も私はいやよ 桃と桃との間(合)が良い 蝉はなくなく千光寺山で 下保桐山よいとなく   坂田藤十郎やまた島崎や さては山下又四郎や 飲めよ大黒騒げよ恵比須 中で釣とる福の神 今年しゃ嬉しや恩ふたにかのうた 鶴が御門に巣をかけた 酒はよいもの気を勇ませて 顔に五色の色を出す 目出度目出度の若松様よ 枝も栄ゆる葉も茂る 呑めよ騒げよ−寸先きゃ闇よ 下戸の建てたる蔵はない 差いた杯中見てあがれ 中は鶴亀五葉の松 何処の土場でも張場でさえも さらしとはない我殿御 話しやおかんせ歌ならよいが 話しや仕事の邪魔になる 能登の七尾で竹伐る音は 一里聞えて二里響く   光る擬宝珠の今宮橋は 恋のかけ橋赤い橋 赤いらんかん今宮橋は 町のまん中恋の橋 宮城橋から川上見れば 雪の乗鞍川の中 瀬戸川はづれのでっかい銀杏 町を栄えて五百年 ここの名物数々あれど 起し太鼓に土蔵まち 飛騨の古川出ていく時は 三度見返す安峰山 旅の一夜を古川どまり 恋を忘れて荒城川 ここのみやげになにもって帰る 盆の踊りの松阪を 飛騨の古川お寺が多く 数も十五で有りがたや おらが山さに宝はないが ヨメナ アヅキナ フキ ワラビ 飛騨の古川山中なれど 嫁をとるなら古川で 結びくだされ気多若様よ 好きなあの娘はお膝え 熱い御岳けむりをふいて 娘心に火をつけた こんな年までよく添いとげた 明日も元気で行こまいか ヂさもババさも子供もおどれ 盆のおどりは二、三日

参考
日本の民謡 曲目解説<岐阜県>
http://www.1134.com/min-you/02/k2001.shtml
  「高山音頭」(岐阜)
    《飛騨の高山 高いと言えど 山も高いが 名も高い》
  かつては「吉左右(きっそう)踊り」と呼ばれていた盆踊り唄。昭和4(1929)
年「高山踊り」と改め、その唄を「高山音頭」と呼ぶ。高山城主・金森法印長
親は、豊臣秀吉の文禄の役(1592)に随ったが、陣中から勝利の吉報を故郷に知
らせた。土地の人々は、それを祝って唄い始めたのが「吉左右踊り」である。
しかし、この唄はそれほど古いものではなく、せいぜい江戸中期以後の唄とさ
れている。現在の節回しは同地の保浅太郎のもの。4月に行われる日枝神社山
王祭(春祭)と10月に行われる八幡宮の八幡祭(秋祭)は、祇園祭や秩父祭と共
に代表的な山車祭として知られる。秋祭では、百個以上の提灯に灯をともした
山車が闇に浮かび、古い家並みが残る高山の町内を巡行する。
            ◎吾妻栄二郎CRCM-10023(98)
            ◎竹田  利吉COCF-9311(91)
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  「飛騨の子守唄」(岐阜)
            ○三橋美智也KICH-2187(96)
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  「飛騨やんさ」(岐阜)
    《やんさ踊りが 今始まるぞ 婆さ出てみよ 孫抱いて》
  飛騨全域に伝わる古い盆踊り唄。平湯温泉で生まれ、平湯峠を行き来する人
々によって唄われた。踊りが陽気ではつらつとしていて、「高山音頭(踊り)」
の優雅さと対照的。
            ○田口 真一APCJ-5041(94)