大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
大西村の民話・彦左おりん |
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私:今日の千一夜は変わったところで、村の民話。 君:方言学というよりは民俗学ね。柳田國男の影響ね。 私:そんなところ。書きとどめておかねばなくなってしまう。 ・・・むかしなあ、村に彦左って家があってな、おりん、っていうひとり娘がおったんやさ。そりゃあべっぴんで、うわさは村々はもちろん、飛騨国中やら美濃界隈まで広がっとったとよ。とっつぁまとかかさまとおりんが京参りせらはったんやが、道中や宿場でもそりゃあ評判やったとよ。親は鼻高々や。「16の春まではどこへも嫁にやらん」っていわさって、ええお婿さんが見つかるのを楽しみに待っとったんやさ。そやけどおりんに好きな男ができてまった。庄屋の中井家へ新宮村からきとる下男やさ。そんで二人ゃ結婚する約束までしてまったんや。それを知ったとっつぁまは、おりんに「下男ふぜいと夫婦になりたいってなんてたあけじゃ。わりゃ(お前は)きっと立派な家のええ婿さんをさずかるで、はよ別れてまえ。」と、きつう言い聞かせたそうな。おりんはこっそりと下男に泣き泣き話したそうな。すると下男ぁ「おりにまかせよ。勇気出いで頼んでみるで。」ってそって、その晩、彦左へいってつくばって(正座して)「おりんさんを嫁にくれんさい。幸せにしますで、頼みます、頼みます。」って泣いで頼んだんやとよ。怒ったとっつぁまぁ「しびつけない(しぶとい)やつや。わりゃおらんどこの(我が家の)貧乏神や。」って囲炉裏端のハルキで下男を力いっぱいなぐってまったんや。下男の頭から血がタラタラ出て、ありゃあ、死んでまったとよ。「ああ、恐ろしいこっちゃ」こおうなった(怖くなった)とっつぁまは益田川の深い深いどんぶちへみしろ(むしろ)に包んで石を縛り付けて投げ込んだんやとよ。村では悪い噂がたって、あんな評判やったおりんの事もだあれも見向きもせんようになってまったんや。おりんは独りぼっちで悲しい恋心を抱いで来る日も来る日も嘆き悲しんで、やせおとろえてまって美人の面影がのうなってまったんや。彦左は村人からのけ者扱いされ、彦左へ婿に来る男もおらず、家は絶えてまったんやさ。しゃみしゃっきり 君:悲しいお話ね。 私:祖父母から昔話で聞かされた思い出があるが、寺で仏教説話で聞いたようなうろ覚えがある。教訓はたったひとつだね。 君:ええ。日本国憲法、結婚は本人同士の意思。 私:それも勿論あるが。 君:戦前と違い、結婚は家同士の結婚ではない事。 私:おいおい、同じ事の言葉のすり替えだよ。それに第一におりんの話は戦前から、というか多分、江戸時代から大西村に代々伝わる話。 君:なるほど、ではあなたのお考えは。 私:親は子供を利用して幸せになるべきではない。 君:なるほど、子供を不幸にしてまであるじだけが幸せになろうとした一家の悲劇。 私:その通り。彦左は実は自分の幸せしか考えられぬ人だった。然も彦左は娘の美貌を自分の名声と勘違いしている。 君:正しい道はひとつよね。 私:アドラー心理学はこう教える。例え親子であれ、他人の課題に土足で踏み込むべからず。現実的には下男に婿入りしていただく事だな。結婚方程式といって、要は、惚れたほうが負け。下男君はおりんをもらうのはいいが、意外や大変な人生が待ち受けるかも。ぶっ 君:ほほほ、惚れた女房より惚れられ女房というわね。 私:下男君の悲劇は相思相愛になってしまった事かな。おりんに振られていたら話は違っていた。でもおりんにも彼にも非は無い。 君:私のお友達で、若しあの人と結婚していたら、と思う人が意外に多いわ。幸せな結婚って案外、難しいのね。 私:おっ、僕の友人にもそういうのがいる。生死(しょうじ)の苦海、ほとり無し(高僧和讃、註釈版579頁)。「生」の読みは158通りあるが、「死」は「し・じ」の2通りだけ。 君:どういう意味? 私:人間には様々な生き方があるが、死という命題は一つのみ。ほとり無しとは、若しも別の人生だったら・そういうふうにしか考えられない人は実は誰と結婚しても幸せになれない人、という事。 君:つまり、たった一度の人生、たった一度の結婚を大切にすべき。 私:そういう事。縁あって夫婦、縁あって親子。縁なくて初恋の人。 君:ご縁を大切にすればいいのよね。ほほほ |
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