昨日ですが、少し調べ物をしていて思わずドキッとした事が
ありました。
さて人が小中学校で教わった事は生涯忘れないでしょう。
脳裏に焼き付いており、言い換えれば修正不可能です。
筆者がごとく戦後の生まれの人間は、形容詞・形容動詞、という
言葉を学校で教わりました。
がしかし、今はそうは言わないようですね。
変わりに、第一形容詞・第二形容詞、と言ってみたり、
イ形容詞・ナ形容詞、と言ってみたり、のようです。
新聞を読もうがテレビを読もうが、国文法そのものが
話題になる事はあまりないでしょう。ですから、
どうも最近らしいこの品詞再分類について、
かなりの国民がご存じないのかも、実は昨日までの
私でした。
尤も、以前から良く引く辞書の広辞林では、
形容動詞とは畢竟、体言+助詞、という立場で
書かれていますので、形容動詞という言葉が
消滅しても筆者には未練はありません。
さて佐七節です。飛騨方言に、おうちゃくない○●●●▼○、
という六拍中高(俚言)形容詞があるのです。例文ですが
おうちゃくないやっちゃな、@倍ってやつぁ。
いくら選挙ぁちけえってたって、
ころころと言う事かえてゃあ、だしかんぞ。
意味は勿論、横着な、です。
つまりは共通語ではナ形容詞なのに飛騨方言ではイ形容詞、
ふふふ。
飛騨地方の小学校の先生方へ、こんな事を
授業で扱おうものなら子供達はますます混乱するばかりですね。
当サイトは大人のサロンですから、小学校教材として不適でしょう。
つまりは良い子は文科省の推薦する教科書だけ
をよく勉強して良い大人になればよい。
おうちゃくない、という飛騨方言は、
イ形容詞でもナ形容詞でもそんなごたぁどうでもええわ、
佐七がそっと心の中にしまっておけばよいのです。
と先ほどまで沈んでいたのですが、一杯のんだら元気が
出てまいりました。どうも私の悪い癖でいつも反省する
ばかりですが、このように面白い事に気が付くとつい
書きたくなるのです。
別の例ですが、飛騨地方の小学校の先生方へ、
ほうらつない○●●●▼○、この飛騨方言形容詞
をどう思いますか。意味は、放埓な、です。
ほらつない○●●▼○、と発音して五拍中高になる事も多いでしょう。
またしても、共通語ではナ形容詞なのに飛騨方言ではイ形容詞、です。
ううっ。若しや文科省様は飛騨方言の存在をお知りになっても、
国語でないものに返答の必要は無い、とお答えなさるのかも。
最後はまた例文ですが、
ほらつないやっちゃな、@倍ってやつぁ。
男はだめやで、女にしたって。
いくら選挙ぁちけえってたって、
ころころと部下をかえてゃあ、だしかんぞ。
そして結論ですが、飛騨方言・おうちゃくない、は、横着がある、
という意味です。ほうらつない、は、放埓である、という意味です。
つまりは国文学で言うところの方言学の逆さ言葉なのです。
佐七なんか嫌いよ、というのは実は、佐七が好きよ、という意味
なんやさあ。
原爆発言に続く女性防衛省大臣
2007年、国政選挙間近に防衛省大臣の一言、
米国の原爆投下はしようがなかった、が辞任問題に発展し、
各紙のトップ記事の表題が原爆発言となる騒ぎとなるも、
総理は女性初の防衛省大臣を後継として
数時間後に任命する電撃的な衆愚作戦をとった。
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