大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

助動詞が助詞に化けるのが方言

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やはり随筆の方が気が楽です。 何せいきなり書き始める事ができるのですから。 今、ふっと思った事をお書きしましょう。大げさな言い方かも知れませんが、方言発生のメカニズムです。 端緒はふたつの言葉です。それはといえば、共通語で、〜じゃないか、という意味で、飛騨方言では、〜ながい、といいます。 また、共通語で、〜ねばならない、という意味で、飛騨方言では、〜ならん、といいます。

これら、〜ながい、〜ならん、という言葉のいずれも、句から始まった言葉でしたが、 言葉の短縮により、語数が極限状態となり、これ以上は語数が減る事はないでしょう。 また語数を詰めても意味は元の言葉の意味を引きずっています。また活用もしなくなりました。 なにせ語数が少ないのでうかつに活用すると 何がなんだか言っている意味がわからなくなってしまうからです。 かくして、もともと活用していた句が活用しなくなってしまうと、これはもはや助詞です。 句が他品詞・助詞に化けたわけです。

二を知って百を知る、つまりは飛騨方言を考えるに、〜ながい、〜ならん、という言葉について考える限りは、 助動詞が助詞に化けるのが方言である、という結論になります。 飛騨方言には他の言葉にも同例がありましょう、 いずれ数がまとまればそれをまとめるのも面白いという事にもなります。

ところで、私は言語学を一切、学んでいません。最近は図書館にも行っていません。 方言の研究論文を読んだ事もなければ、書籍も持っていません。 私はつまりは素人、つまりは生徒です。 生徒ながら方言についてこの半年ばかり、あれこれ考えてきましたので ゼロからスタートすると人はこのように考えていくものなのか、という参考程度に 私の記事をお読みくだされば幸いです。

お断りがひとつ、私が今まで一生懸命書いてきた記事も本稿も、 実は既に先人がお書きになっている事かも知れませんので、その節はご容赦を。 しゃみしゃっきり。

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