大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

品詞の転成

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私:今日も国語の話題で。国文法も文語文法も系統だった仕事にしようかと思っているわけではないので、とりとめのない話だ。
君:品詞の転成、これは熟語ね。
私:「転成」の元々の意味は、あるものが性質の違ったものになる事、転化する事を意味するが、国文法においては専ら品詞が転化する事に用いられるようだね。
君:転成した結果の品詞を「転成語」ともいうわ。
私:だいたいが中一の国語内容のようだね。宿題に出る、期末試験に出る。
君:具体例をお示しなさったほうがいいわよ。
私:ひとつは動詞が名詞になる事。これは動詞連用形が転成語だ。「荒らす」から「あらし暴風雨」という名詞がうまれた。
君:もうひとつは形容詞・形容詞型助動詞の名詞化ね。語幹に接尾語(辞)「さ」をつける。「長い」から「長さ」。
私:形容詞も連用形で名詞になるね。これも転成語だな。例えば「富士を眺めるのは遠く(ならむ位置)が良い。」
君:ほほほ、連体形でもいいわよ。例えは「15年の長き(時間)に渡って飛騨方言を学んだ。」
私:ははは、ほめ殺しかい。つまり形容詞からの転成名詞は三通りがある。中学生レベルだと期末試験では接尾語(辞)「さ」でないと駄目だそうだ。「痛い」を「痛み」と解答すると間違い。
君:動詞「痛む」の連用形をお答えになってしまっては誤答とせざるを得ないわね。
私:ひっかけ問題というわけだ。「赤い」に対して「赤み」はどうだろう。
君:ほほほ、「あかむ赤」(自マ四)の連用形よ。「赤し」の語幹を使ってね。
私:転成は専ら名詞化の技術のようで、「転成名詞」なる言葉もあるようだ。だけど「転成」は名詞だけじゃないね。
君:副詞「あまり」「つゆ」「ゆめ」、連体詞「ある」、接続詞「および」、感動詞「あれ」「よし」「おはよう」などね。
私:外来語も転成語の範疇だそうだが。piano がピアノでも転成の一種、他にはおびただしい漢語が日本語になった。他に仏教語、ポルトガル語他。
君:そろそろ、飛騨方言の話にしたほうがいいわよ。
私:そうだね。僕なりに飛騨の俚言については何とか自力で謎を解き明かそうと頑張ってきた。思い出深い品詞がいくつかある。例えば「てきない」形ク、「体が苦しい、つかれる」という意味だ。
君:語源は?
私:どこにも記載が無い。幾つかの古語辞典の語彙をひとつずつ調べた。
君:内省したのよね。
私:一年ほどかかったような記憶がある。「たいぎなり大儀也」形動ナリの転成である事にやっと気づいた。
君:でもあなたの理論だから裏付けが無いのよね。
私:裏付けなんて要らないや。飛騨方言は飛騨人しか話さない。我々のご先祖様がいつしか「てきない」と言うようになったのだが、なるほど納得できる、それだけの事だから。世間様の評価は要らない。僕は自分自身の為に学問をやっている。
君:ほほほ、その意気込みやよし。でも文語文法で説明できないといけないわよ。
私:勿論。語幹は「たいぎ大儀」だね。活用部分は「なり」だが「に・あり」が元々の言葉。連用形で活用し「たいぎ」+「な」、つまりは「あり」が脱落した時点で、品詞としては(形容)動詞から形容詞に転成したという理屈なんだよ。
君:「たいぎな」が連用形の形容詞は「たいぎない」というわけね。
私:語源の解析は比較的容易なものもあるが、品詞の転成が原因となるとお手上げだ。
君:ある日、突然にひらめいたのね。
私:その通り。古語辞典の語彙ひとつひとつを見る毎日だったが、「たいぎなり」をいつも素通りしていた。心ここにあらざれば見れども見えず。
君:作戦がまずかったのよね。
私:その通り。「てきない」の語源が中々見つからないのは幻のモーラの脱落だろう、と信じ込んで、つまりは音韻が変化した事など疑っていなかった。
君:いわんや品詞の転成をや。語源が見つからず瀕死のあなたの天性ね。突然のひらめき。ほほほ

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