大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

自立語と独立語

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私:ウクライナについて自立或いは独立のいずれの言葉を用いても意味の差は無いが、国文法では自立語と独立語は全く別の概念というようなお話をしよう。
君:簡単すぎるわよ。品詞を自立語と付属語に二分する概念は橋本文法、というか学校文法。前者は名詞や動詞、後者は助詞・助動詞など。これは中学生でもわかるわ。
私:そうだね。ただし学校文法では独立語・独立語文の概念は教えないのじゃないかな。従って独立語という概念は我々日本人にとっても少し理解しにくい概念だ。全ての文章は単語の集まり、全ての単語は自立語と付属語に二分されるという事は、人間には男と女しかいない、と同じ事でわかりやすいが、独立語に対峙する概念というものはない。従って非独立語という言葉も存在しない。長い文章、つまりは文の集まり、このなかで、特定の部分が独立語というモダリティを持つというものだ。では文章の中で独立語以外の部分は独立した意味を持たないのか、というとそんな事はない。文章の全ての箇所は意味を持つ。従って「独立語」という言葉自体がナンセンスという考え方が生まれる。佐久間鼎(かなえ)は「誘導部・誘導語」という学術語を提唱した。
君:佐久間鼎って。
私:戦前の国語学者。大正二年に東京帝大卒、ベルリンに留学、ゲシュタルト心理学の第一人者,九州帝大教授、早くから日本語の音声学に没頭、アクセント式の発見等、国語の父とも言えるお方だろう。服部四郎先生もたじたじだ。国文法の著書多数。
君:へえ。
私:「誘導部・誘導語」のほうが断然、わかりやすいよ。独立語と言えば
《叫び》ああ、おう、くそっ
《受け答え》はい、ああ、うん、いいえ、うそ、ちがう
《掛け声》それ、いちにのさん、はい
《挨拶》こんばんは、有難う
《呼びかけ》おい、もしもし
君:簡単にひと言で独立語を説明できるわよ。
私:そうだね。
君:じゃあ言ってみて。
私:うん。要は、あっても無くても文章が形成されるけれども、ないと明らかに不自然な一定の内容、という事だな。
君:ほほほ、だから沈黙は独立語では無いのよね。
私:・・
君:いやだ、何か言ってよ。
私:・・・・
君:わかったわ、沈黙は金也。
私:そう。沈黙も独立部分だな。恋人との語らいでは、この適度の沈黙というか、会話の適当な間合いというのが大切だよね。
君:ほほほ、何を気取ってるの。ため口でガンガン話せばいいのよ。
私:・・・君も変わったな。明るい人になった。

君:・・・・・・お互い様ね。

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