井上史雄、日本語ウォッチング、岩波新書、2005年10刷、を読みました。
気になる口調、という章に詳しいのですが、pp182-186、
関西方言はいざ知らず、共通語に於いて人は聞きなれない言葉や無意味な音連続の表記を
発声しようと思う時に、
三拍以上の品詞である場合は末語三拍のアクセントが▼○○
になりやすい、という事を書では"マイナス3の法則"と記載しておみえです。
井上先生の造語でしょうか。
メール、という単語ひとつにしても、これを頭高で発音する人というのは
電子メールをご存じない方という事がたちまちにわかってしまう訳です。
そんな方も何れは、メールを使おうが使わまいが、平板式○●●で
発音するようになってしまいます。
つまりは井上先生の理論は一言で言えば、頭高でつまりは使い込むほどに頭高・中高の
アクセントの言葉も次第に尾高・平板に向かう、
という事でしょうか。
これでは金田一春彦先生もギャフンでしょうか。
日本語の音韻史に足跡を残しておみえです。
つまりはこういう事なのでしょう。
ある言葉が発生して人々が一斉に使い始めた時、
そのアクセントは混沌としているはずです。
同音異義語との意味の混同を嫌う等々の
理由により頭高・中高でなくてはならない言葉は、
そこでアクセントが決定されるのでしょうね。
そうでない言葉は、数年もせずして尾高・平板に向かう、
という事なのでしょう。これがおそらく井上先生の洞察でしょうか。
このように時を経ずしてアクセントが落ち着いてしまった言葉は
一千年を経ても変わらないのでしょうか。
これがおそらく金田一先生の洞察でしょう。
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