金谷武洋著、日本語に主語はいらない、講談社選書メチエ、に触発されて佐七が以下に一切、主語のない文章を書いてみます。
日本語には主語がないという金谷武洋さんの面白い本。
その通りだ。例えば話かわって、何をたべるかい。僕はうなぎだ。
やはり日本語には主語がない。やはり間違っていた学校文法。
さて英語・ドイツ語を学んで、世界の言語には必ず主語があると思い込んでいた私。
ラテン語も次いでに学んでびっくりした言葉が cogito ergo sum。
ラテン語には明らかに主語がない。
我思う故に我有り、とは誤訳であったのかと今になって知った私。
正しくは、"認識するって生きてる証拠よ。" か。
ついでに思い出すのは、ひとりじゃないって素敵なことよ、か。
古い歌だ。
日本語に主語がない以上、日本語には結局は代名詞もない。
自称・おり、他称・わり、などと書き続けてきた佐七という男がつまらない人間に
思えてきた。
代名詞の代わりに日本語にあるのは実は名詞だ。
だからこそ、自己・他者を示す表現が満ち溢れる言語・日本語なのだ。
道理で。
どうでしょうか。やはり、日本語には主語がありませんね。
主語がなくても上記のように文章はスラスラと書けるし、会話もできます。
否、日本語にはもともと主語がないのです。
だから学校の国語で学ばされた国文法は実は誤りであり、
主語・代名詞と品詞分解して教えられたものは、実は
単なる名詞、という単純明快な論の本のご紹介でした。
ふーむ、ところで主語が無いという点で日本語は意外にもラテン語に似ているのですね。
主語を書かない筆致をひとつの手法とするのもそれなりの味があると思いました。
しゃみしゃっきり。
おまけの余分な一言
どうだい。日本語は主語がないから欧米語へのコンピュータ自動翻訳ができないだろ。
ざまあみろ。
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