大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
日本語を迫害する国文法 |
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私:僕の従妹に長い英国生活だったのがいる。なんでも英語だけじゃなくて欧語を六ヶ国語もみにつけたらしい、って聞いた。 君:ヨーロッパは国が多いからよね。公用語の数が国の数より多いのよね。仕事でも必要となれば、というところかしら。 私:僕の教養部の思い出だが、春から二ヶ月で独語基礎文法をやって、夏休みにゲーテの一冊を読んだ事がある。若きウェルテルの悩み。僕らしいだろ。 君:ほほほ、その勢いでご勉強なさったら今頃は少数民族の言語に興味を持っておみえかも。 私:褒め殺しだな、有難う。実は僕は英語とドイツ語しか知らないんだ。仏語すら。ところで、ここにある一冊。金谷武洋・著、日本語に主語はいらない、講談社選書メチエ。内容が過激だぜ。 君:とは? 私:百年の誤謬を正す書。愛らしい、赤ん坊だ、泣いた、日本語の基本文はこの3種で十分である。英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の主語信仰を完璧に論破する書ということさ。 君:具体的には? 私:金谷氏によると、日本語には代名詞は無い。代名詞と教わったものは、実は名詞だ。日本語には英語の I, 独語の Ich に相当するものは無い。あるのは be / binのみ。例文だが、要るかい?要るわ、夫婦ならこれで通じるだろ。 君:日本語は、愛らしい、赤ん坊だ、泣いた、のみ。なるほど、V + adj./v +noun/ v ね。源氏など古典の世界もそうだわ。主語が無いのよ。確かに現代文も s がないわね。とすれば代名詞という英文法-like の言葉、その概念も怪しい物よね。 私:おいおい、気が付けよ。愛らしい、赤ん坊だ、泣いたとは、あなたの二世だよ。おめでとう。 君:一本とられたわ。相変わらず比喩がお上手で。私も母。これで一生忘れないわね。 私:ははは。話はまだ途中だ。ところで君は日本語は盆栽語という言葉を知ってるかい。 君:いいえ。何の意味かもピンとこないわ。 私:盆栽語を君が知らないのも当然、金谷氏の造語だ。V + adj./v +noun/ v だから日本語には動詞はある、動詞部分を盆栽の剣山と水盤にみたてているのさ。 君:ならばピンとくるわね。ごてごてと好き勝手に名詞をぐさぐさと動詞に刺せば盆栽、つまり日本語の出来上がりというわけね。日本語は膠着語ではなくて実は盆栽だったのね。 私:ははは、その通りさ、やはり君だ。彼はまた言う。英語はクリスマスツリーだと。 君:ピンとくるわ。天辺の星が主語と言う事で、あとは幹があってあれこれ枝があるけど、盆栽と異なって結局はワンパターンの構造なのよのね。英語の文章構造は素朴だわ。国際語たる所以ね。 私:君も英語のセンスが鋭いね。そうさ、クリスマスツリーの天辺の星・主語、に相当するものが盆栽には無い。だから日本語では主語ではなく実は名詞なんだ。日本語にこれだけ主格を著わす言葉が多いのも、それならうなづけるだろ! 君:なるほど、国語・国文法は本居宣長にもどって国学として再出発しないと、という事かしら。明治になって英文法を無理やりに日本語訳したのが現在の国文法というわけかしらね。 私:さすが君だ。すべてお見通しだね。ところでここは飛騨方言のサイトだからやはり、飛騨方言でしめくくらなくちゃいけない。今日の話題は、はなもちならない日本語・盆栽語、だ。 君:失礼、どこが飛騨方言なのかしら。 私:ご所望とならば、では物のついで、飛騨方言で説明を。今ぁ夏やろう。花餅ならぬ盆栽、っていうわけやさ。これがピンと来て笑えるのぁ、飛騨人やろ。書く時期ゃ夏やって、今までたばっといだんやさ、ははは。( たばう=たくわえる ) cf 花餅は紅白の切り餅を小枝にくるめて作る飛騨の冬の飾り |
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