大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

接頭語(辞)・接尾語(辞)

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私:表題だが、どう思う?
君:両論併記という意味ね。総花主義とも言うわ。優柔不断の貴方らしいやりかたよ。
私:当サイトも三千五百ページに迫る勢いで、まだまだ書けそうだと思うが、文章を書く上で大切なのが用語や文体の統一だね。
君:文体については二年近くかしら、拘ってきたわね。
私:そう。ためぐち。会話形式。こうやって国民の皆様に語り掛ける言葉遣いは独演会のような気持ちにも成れて満更ではないが、用語の統一という事で昨日は気付いてしまったことがあり、一日、悩んだ。
君:接頭語とすべきか接頭辞とすべきか、接尾語(辞)にして然り、というわけね。
私:数百の文章でこれらの言葉を使っていたが、約七割で接頭語を使っていた。接尾語もそうだった。つまりは主に接頭語・接尾語を使っていた。
君:接頭辞と接尾辞を使っていた例でも、これだけはやむを得ないというケースもあるわよね。
私:その通り。引用文だね。原文のままというのが引用する側のエチケットというものだろう。
君:接頭語・接尾語のほうが多かった理由がたったひとつあるのよね。
私:そう。正にその通り。この言葉を日本人が覚えるのは中学校あたりだが、学校文法では接頭語・接尾語の用語で教える。道理で国民の皆様の大半がお使いになる訳だ。僕もその一人。文部省学習指導要領なるものも一応はあたってみた。
君:接頭辞と接尾辞が使われるのはどんな場合か、これもお調べになったのよね。
私:その通り。外国人に対する日本語教育の場に於いては専らこの言葉が用いられるようだ。ただし手元の資料・国語学会編・国語学大辞典の見出しは接頭語・接尾語。但し同辞典には接頭辞・接尾辞とも言う、との両論併記。
君:他の資料はどうかしら。
私:手元に大修館日本語文法事典がある。接辞(接頭辞・接尾辞)の記載はあるが、接頭語・接尾語は無視。編者は日本語文法学会となっている。
君:日本語文法を対象とする学術団体の出版物だから、それに従うという考えもありじゃないかしら。
私:国語学会あらため日本語学会になって久しいがその出版物が接頭語・接尾語、文部省も生徒に接頭語・接尾語を教えているのだから、そりゃあないでしょ、と思い沈んでしまう。話はそれだけじゃない。日本語教育能力検定試験というものがある。日本国際教育支援協会の運営。出版物も多く、過去問がネットにある。日本語教育能力検定試験に出る問題は接頭辞・接尾辞。この試験範囲も最近はガイドラインというものが示されて、令和4年以降の出題については文化庁の考えに従う旨が明記された。
君:なんだかわかりにくい話ね。
私:簡単に言うと、学校では文科省に従い、生徒に接頭語・接尾語を教え、外国人に対する日本語教育に於いては文化庁に従い接頭辞・接尾辞を教えるという構図。
君:つまりは素人たる左七君は両論併記でいく事に決めたのね。
私:まあね。原則は接頭語・接尾語で行こうと思うけれど。
君:ほほほ、まだ言いたい事があるのじゃないかしら。
私:学校文法とは橋本文法の事。そして接頭辞・接尾辞の考えは時枝文法や山田文法の考えでしょ。言葉とは何か、詞と辞に二分類。でもよくある説明が、辞とは非独立語である、という論法。独立語が単語あるいは詞。でも辞とは非独立語であるという文章には、哲学で言う自己言及のパラドックス(私は嘘つきである)と同じ矛盾を含んでいると思わないかい。辞が非独立語ならば、辞は語でしょ。つまり接頭辞・接尾辞は実は接頭語・接尾語。第一に外国人が日本語を覚えるのに好都合だからと言って日本の中高生を困惑させてどうするんだい?
君:中高生の教師も、日本語学校の教師も、教師は教師。お互いに立場と言うものがあるのよ。
私:まあ、やはり両論併記で行くしかないなぁ。国語は誰のもの?左七の相手は中高生じゃない。おい、文学部の大学院生よ、出てこい!
君:そのようね。ほほほ

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