久しぶりですが古語辞典を買いました。実に久しぶり、高校に入学する時以来、
つまり四十年弱ぶり。手元の辞書は昨日までは、とうに大学受験を終了した
娘のお下がりを借りて佐七がせっせと毎晩引いていたわけで、
当の私が高校時代にせっせと引いていた辞書は、多分大西村で
お蔵入りしているか、ふーむ、兄弟の誰かが使っていたのでしょうね。
ところで大学時代以降の私の専門書ですが、一切書き込みをしていません。鉛筆すら。
仕送りが途絶えて食うに困ったら古本屋に売ればいいや、という魂胆ですわ。
でもなんとか一冊も売り飛ばさずに全て手元に残っています。
それだけでも幸せです。
前置きはさておき昨晩ぶらっと本屋さんで買ったその書とは、三省堂の全訳基本古語辞典、定価千九百円也。
ぺらぺら読みましたが、いやあ面白い。老眼がはじまり、活字が大きめなのも
大助かり。書き出せばきりがなのですが対偶中止法のコラムがあり、
それについて一言。
さて対偶中止法ですが、栗をむいで、うむすない、といえばどんな意味でしょう。
栗の皮をむいてはいけない、むいた栗を蒸してはいけない、という意味ですね。
栗の皮をむきなさい、でも蒸してはだめよ、という意味ではないはず。
ところで栗強飯(くりこわい)、下呂名物ですね、実際の作り方は
どうなんでしょう。一言でいえば、二つの文節が対等関係にある時に
下の対等語につく助動詞が上の対等語までを受ける用法、という事ですが。
年末ですが、飲んで運転せるんやねえぞ(するんじゃないよ)、という事ですか。
ところが文字通りに、飲むな、運転するな、という意味ではありません。
となればこれではまるで対偶中止法になっていない。
飲むなら乗るな、乗るなら飲むな、つまり
この文章には、もしもあなたが事の次第を理解しておみえならば、という条件文が
省略されていますね、実は。まあしかしどちらかというと、おおいに飲みなさい、ただし
運転はしないように、という意味に近いでしょう。
しゃみしゃっきり。
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