大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
動詞とは何ぞや |
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私:中高生あたりが「動詞と言う言葉は誰が作ったのですか?」と質問しても、「君達は知らなくてもいい」と言われるだけだろうね。 君:またまた。そういい方、やめてよ。 私:先生にも立場があるだろうから怖くて聞けなかった。今、こうやって一人でコツコツと調べている。彼の名は中金正衡(なかがねまさひら)。 君:聞いた事ないわね。 私:ほら。幕末の砲術家・奥平壱岐の改名だ。彼は豊前中津藩の家老で福沢諭吉の十歳年上、維新後は文部省の役人に。明治4年に「大倭語学手引草」を著し、動詞なる言葉を発案、ちなみに形容詞も発案。「動詞・形容詞」この二つを考えた人物。とにかくマルチタレントな人で、漢学、儒学、伝染病、西洋学等々に秀でて、福沢諭吉も奥平壱岐には頭が上がらなかった。 君:なるほど。その後の数々の国語学者に支持されて「動詞・形容詞」の学術語は現在に生きているのだから、中金様もたいしたお方よね。 私:まあ、こういう知識を得たからと言って僕の人生がどうなるわけでもないが、なんだか楽しい気分にはなる。でも動詞は上古の時代から存在していた。国学者は動詞の事を何と呼んでいたのだろう。「動詞」という言葉が出来たのが明治だから、本居宣長が動詞の事を動詞と言っていなかった事だけは確かだ。余談になるが幕末にはオランダ語や英語の訳として「動詞」あるいは「働詞」の語が見え始め、安政期あたりには定着していたらしい。書物としては「大倭語学手引草」が最初、なによりも明くる明治5年に頒布された学制において下等第二級に「動詞・活用の語変化」の記述もあり、「動詞・形容詞」の生みの親とて中金の名前は不動だ。 君:動詞の研究なら平安時代からじゃないかしら。「伊呂波字類抄」とか。 私:そんな感じだね。本格的な研究は江戸時代中期の「あゆひ抄」だと言われている。現在の用言の類を「よそほひ装」と呼び、更に現在の動詞に当たるものを「じ事」と呼び、それ以外を「さま状」と呼んだ。ただし「あり有」の類は「ありな孔」と呼んだ。つまりは「装」があり、それは「事・状・孔」に細分類される。これが国学。がはは 君:今後、当サイトを国学でやると読者はゼロになるわよ。 私:他ならぬ僕が途中で飽きるだろう。これくらいで今夜は終わりにしたいが、本居宣長は「事」の活用を幾つに分類したと思う? 君:四段、上一、上二、下一、下二、カサナラの変格活用、では有りません、と言っているようなものじゃないの。 私:正にその通り。文語文法で動詞活用と言えば以上の8つを反射的に思い浮かべてしまうのは、「如何に学校文法に毒されているか」と同意語と言えなくもない。本居宣長は「事」の活用を25に分類している。 君:分類しすぎね。多分、佐七は知らなくてもいいわ。 私:まあそんなところだが、ただし、「活用」という言葉を発案したのは本居宣長なんだ。「御国詞活用抄(言語活用抄)」。やはり本居宣長はえらい。当サイトにおいても「活用」という言葉だけは末永く使わせていただこう。 君:せいぜい活用なさってね。ほほほ |
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