大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

(飛騨方言)動詞の自他に関する一考察

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私:数日前だが飛騨方言の他動詞とんがらかす(とがらせる)について書いたことがあったね。自他対には面白い規則があって、サ行他動詞は自動詞からの転、つまり他動詞は自動詞より新しく、その一方、ラ行自動詞は他動詞からの転なので自動詞のほうが新しい、と教えてくれた。
君:ええ、それがどうかしたの。あらいやだ。何か根に持ってるのね。
私:うん。まあ、少しだけ根に持っている。自他対で、ラ行自動詞とサ行他動詞の組み合わせがあると悩ましいし、それ以外に、「つくなる(無造作につんである)・つくねる(積み上げる)」の自他対についても考えちゃうね。
君:ほほほ、四角四面にルールを当てはめると「つくねる」から「つくなる」が作られた事になっちゃうわね。でも流石にそれはないでしょ。思考実験としては「つくねる」から自動詞を作るわけだから「つくねらる」、やがて「つくならる」、そして「つくなる」かもしれないけれど、百パーセント有り得ない話ね。
私:うん。その一方、自動詞「つくなる」から他動詞を作ってみよう。こちらも簡単だ。「つくならす」。でもこの音韻が「つくなる」になるのも不可能に近い。
君:ほほほ、つまりは飛騨方言の「つくなる・つくねる」は初めから自他対として存在していたのでは、と考えたのよね。
私:要はそういう事。別の見方をしよう。自ラ四「なる生」は紀歌謡125に出てくる日本で最古の動詞。また、飛騨方言には「育つ」という意味で自ラ五(自動詞ラ行五段)「しとなる」があるが、語源は「ひと人」+自ラ四「なる生」。つまりは飛騨方言というよりは、日本語には「なる」という接尾語がある。従って、「つくなる・つくねる」を考えた場合、明らかに「つくなる」が古くて、そこから他動詞「つくねる」が生まれたのではなかろうか。
君:一生懸命お考えになってご苦労様。こうも考えられるのよ。上古の動詞では自他共に同一の動詞もあるわね。例えば「いる入(自ラ四)・いる入(他ラ下二」、「たる垂(自ラ四)・たる垂(他ラ下二」、「きる切(自ラ下二・きる切(他ラ四)」、「やく焼(自カ下二・やく焼(他カ四)」。
私:なるほど、古代人はおおらかというか、自他の別はあったが、未然形などでキチンと区別していたのか。
君:でも、やはり不便だなという事で語幹で自他をドンドンと区別するようになったというのが日本語動詞の歴史なのよ。
私:なるほど。古代には「つくなる」一本槍で自他の区別をしていた可能性もあるのかな。やがてそれが進化し、「つくなる・つくねる」になったのかな。
君:そうね。他ガ下二「あぐ上」から自ラ四「あがる上」を作ってはみたものの、格好悪いな・整えちゃえ、という事で「あげる・あがる」になったのよね。こうなると話しやすいし、聞きやすいし、もう後戻りはできないわね。
私:今日も一本取られたな。飛騨方言の自他「つくなる・つくねる」が完成したのは中央で「あがる・あげる」と言い始めたからだったのか。
君:さこそ嵐。
私:おっ、係り結びだな。さこそあらじ、と来たか。「じ」は未来・推量の已然形だよね。
君:さこそおもひ給へど、いふかひなくなりぬるを見給ふに、やるかたなくて。ほほほ

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