大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

飛騨方言における格助詞の省略傾向

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飛騨方言では明らかに格助詞の省略傾向が見られるようです。 勿論、共通語でも、僕はこれを好きだ、というべきところを、僕これすきだ、と言っても意味が通りますので 殊更に格助詞の省略傾向が飛騨方言の特徴と言わなくてもいいかもしれませんが、 以下に概説します。

主語の格助詞・は、及び、主語の格助詞・が、例 僕は行く、 僕が行く
飛騨方言では、人称代名詞にこの傾向が見られます。第一人称・おれは、という意味で、おりゃ、というのが普通です。 また勿論、おり思うんやけど(=僕は思うのだけれど)、という言い回しで、明らかに主語の格助詞・は、を省略する事もあります。
所有を示す格助詞・の、 例 僕の家
飛騨方言ではさすがに完全に省略される事はないようですが、ほとんど撥音便になり、ん、は弱く発声されるでしょう。 例えば 僕の家 は おりぃんち、です。 おれのうち、が訛った言い回しです。 究極の飛騨俚諺として、おじさんの家を、あぜち、と言います。おじのうち、が訛ってあぜち、です。
方向を示す格助詞・へ、 例 東京へ行く
この格助詞もしばしば省略されます。例文の 東京へ行く、は飛騨方言では、東京行く、です。 他の例文としては、
今日ぁ久しぶりに高山いくさ。
といいます。 高山へいきます、と言わなくても意味は通ると言う訳です。
目的を示す格助詞・に、 例 買い物に行く
この格助詞もしばしば省略されます。例文の 買い物に行く、は飛騨方言では、買い物行く、です。 他の例文としては、
(1)総理大臣なると大変やさ。
(2)道南・道東・道北・十日間周遊旅行、行くさ
といいます。 総理大臣になると大変ですね、という意味です。 (1)ん、で終わる体言では、格助詞・に、は省略されやすいと筆者なりに考えます。また、 (2)目的となる体言が長ければ長いほど省略されやすいという規則もあるのではと筆者なりに考えます。
目的物を示す格助詞・を、 例 東京を知る
この格助詞もしばしば省略されます。例文の 東京を知る、は飛騨方言では、東京知る、です。 他の例文としては、
東京知るってこたぁ日本知るってこっちゃ。東京知らにゃだしかん。
(=東京を知る事は日本を知る事、東京を知らなくてはだめだ)
今度の選挙ぁどこの党、応援せる?
佐七すきやけど、よう言えん(?これは無いかな!)
といいます。 説明は不要でしょう、格助詞・を、が無くても意味は通ると言う訳です。
省略されることのない格助詞
など、さへ、すら、などは、まず省略されません。

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