結論は単純です。飛騨方言では「は」と「が」の使い分けはありません。
そのような意味で飛騨方言は日本語というよりは英語に近い文法でしょう。
「は」と「が」の使い分けのネット情報は多く、割愛せざるを得ませんが
などが参考になるでしょう。これで十分な方は、そしゃ ( So much for today. )。
さて何故、飛騨方言では「は」と「が」の使い分けが消滅しているのかを
少し論述します。これも原因・理由は簡単です。飛騨方言は「は」、「が」などの
格助詞を非常に弱く発音する言語であるからです。例えば、
わりゃだれや? おりゃ佐七や。
( あなたは誰ですか。 私は佐七です。)
そうか、わりゃ佐七か? そや、おりゃ佐七や。
( そうですか、あなたが佐七ですか。 そうです、私が佐七です。)
ところで、わりゃいくか? おう、おりゃいくさ。
( ところであなたは行きますか。 ええ、私はいきます。)
1.だりゃ幹事や? ようきいてくれた、おりゃ幹事やさ。
( 誰が幹事ですか。 よく聞いてくれた、私が幹事なのです。)
2a.わりゃ幹事か? そや、おりゃ幹事やさ。
( あなたが幹事ですか。 そう、私が幹事なのです。)
2b.わりゃ若しかして幹事か? おりゃ会計やさ
( あなたは若しや幹事ですか。 私は実は会計です。)
どうでしょう、助詞がなくとも飛騨方言での会話は成立しています。
また、"非常に弱く発音する"とはイントネーションすら存在しない事を意味します。
一方ですが、英語の教師の方々にこの場を借りて佐七からの質問ですが、
英語では実は、イントネーションで「は」、「がの区別をしているのでは
ないでしょうか。例えば、
Who are you ? I am Sashichi.
( あなたは誰ですか。 私は佐七です。)
Who is Sashichi ? I (ah-ee) am Sashichi. Who else ( is he )?
( 佐七さんは誰ですか。 (何を隠そう)私が佐七です。他の誰が佐七だというのですか。)
このようなイントネーション、つまりは重要品詞は大きく発音するという事、は
実は飛騨方言にもみられる傾向かもしれません。否、あるいは実は
飛騨方言には英語に明確に見られるイントネーションすら存在しない、と
結論したほうがよいですね。結論としては、
飛騨方言文法では助詞の「は」と「が」の違いはすべて会話の流れできまる、というのが
佐七なりの解釈です。
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