大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

飛騨方言における方向を示す格助詞

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NHK公式サイトの記事・京へ筑紫に板東さ がヒットしますが、同キーワードで相当数のネット記事がヒットし、 言語学者の先生方もこぞってお書きになっておみえです。 それらの記事を一応、お読みくださったものとして、 浅学非才の佐七なれど物怖じせず発信します。

飛騨方言は明らかに東北方言とは異なり、関西方言の流れをくむ方言ですから、 上記キーワードを借りるならば、飛騨へ筑紫に板東さ、という所でしょうか。 なんといっても飛騨方言は京言葉に近いのです。距離も近ければ、 おびただしい人数の飛騨工が都の公共設備の造営に携わり常に都の言葉を 飛騨に持ち込んでいた、と一筆お書きしましょう。

さて、そもそも、京へ筑紫に板東さ、の言葉ですが、何とか日本語を学ぼうとした ポルトガルの宣教師さんがたまたま思いついたキャッチフレーズ、要するに間違いです。 万葉の時代から二つの格助詞、何々へ・何々に、の区別はもともとあったわけですが、このような ニュアンスの違いを異人さんがわかろうはずもありません。 飛騨方言でも、
東京へ行く。(=関東の中心、東京方面)
東京に行く。(=神奈川でもない千葉でもない他ならぬ東京都)
くらいの使いわけはします。 つまりはひょっとしたら娘さんは東京都ではなくお隣のサイタマ市にお住いなのかもしれませんが、 田舎のばあさんにとっては大都会のどこからどこまでが東京都なんてわかりません。 要は関東平野全体を東京と考えておられます。 例えば飛騨方言の続きですが、飛騨の田舎のばあさんとじいさんの会話です。
ばあさん:これはどこへ持っていくんじゃえな?
     (=これはどこへ持っていけばいいの?)
じいさん:棚にしまっとけよ。(=棚にしまっといてね。)
つまりはご夫婦はきちんと格助詞・へ(に)、の使いわけをしておみえです。 つまりは真実は、
"飛騨へ飛騨に板東さ" and NOT "飛騨へ筑紫に板東さ" by any means
というわけです。 あるいは、坂東以外へ坂東以外に板東さ、と言う事かもしれません。 これに直接関連して、大野晋著・日本語の教室、岩波新書、を最近拝読しました。 氏は万葉集の大家でこの著書でもそれに触れて格助詞・へ(に)、の使いわけ を喝破しておみえです。

私事ながら高校の古典の恩師が生徒に課題を与えて、ご自身の代わりに生徒に授業をさせる という教育実験を試みておられました。たまたま私がくじ運悪く、 万葉集・高市黒人(たけちのくろひと)の 『桜田へたず鳴きわたる 年魚市(あゆち)潟潮干にけらしたず鳴きわたる』 の五分課題を与えられたのです。 愛知県名古屋市南区桜田町 にある景勝地です。 桜田へ〜、桜田に〜、と思いを巡らし十五分に及んだ時間超過を恩師はお許しくださって 他の生徒と共にじっと私の授業を聞き入ってくださいました。すばらしい思い出です。

後日談にはなりますが、この桜田景勝地を一度だけ訪れた事があります。 そこは景勝地というよりは、、、名古屋市のまん中・田も無く鶴も飛ばぬコンクリートジャングルでした。しゃみしゃっきり。

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