随筆風で恐縮しますが、生まれも育ちも飛騨の友人のひとりN君が、
佐七は対称代名詞に、わり、を紹介しているが一度も使った事がない、
使うのは、おめ、幼馴染も皆そうである、と言った事を
筆者なりにずうっと気にしていました。
私なりに出来る事ゆえ、飛騨の民話、説話、伝説、あるいは
郷土の作家、例えば早船千代、の自伝などの書籍を収集してみました。
全て古書、それなりの出費にはなりましたが佐七文庫となりました。
いずれどこかに寄付しましょう。
やはりそれらの本に、飛騨方言における対称代名詞・おみ(御身)、が記載されています。
となれば結論は簡単です。あるいは江戸時代の江戸の庶民言葉であった、おみ(御身)、
が飛騨でも話されていたのでしょう。
あるいは大胆に、それは飛騨全域ではなく、旧高山市街地における
江戸文化の言語島の言葉だったという事ですね。
あるいは、江戸言葉・おみ、は謡曲のことば・おんみ、に由来する事は
書かずもがな。また、おんみ、には相手に対する尊敬の意味がありますが、
江戸言葉・おみ、に至って普通の言葉になります。
江戸時代の飛騨方言であろう・おみ、が、おめ、に変化したのは、
あるいは明治以降でしょうか。共通語・おまえ(御前)、の影響でしょうね。
おまえ・おみ・おめ、の区別がなくなり、終には蔑称になってしまったのです。
ここまで推察しますと更に敷衍(ふえん)できます。
つまりは、蔑称となった時点で、おみ・おめ、は男子の言葉、
どちらかというと子供の言葉、になったのです。しかも尚、
旧高山市街地の言語島はちいさく、おみ・おめ圏は既に
消滅しつつあるという訳です。また、おみ・おめ、を方言として
愛しく思ってネット情報発信する飛騨人も皆無に近く、ヒットゼロでした。
つまりはおみ・おめ、は方言くささが、わりぃ、には適わない。
言い換えますと飛騨で、おみ・おめ、を話す人は
この代名詞は方言であるという意識が薄いのでは、
と筆者なりに推察いたします。
言い換えれば、私は強烈な意識で、わり、を身内にのみ話します。
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