大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

しな

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私:ここ数日は飛騨方言の接頭語について考えていて、早くも壁。急遽、飛騨方言の接尾語について語ろうと思う。
君:つけ刃ね。ネタ切れ、降参になさったらどうかしら。
私:いや、そんなわけには。当サイトの意義は全国の数少ない読者の皆様に、左七は今日も元気です、というメッセージを送るという事なのだから。
君:ほほほ、今夜も元気はよさそうね。早速だけど、表題の接尾語は、やや古風な言い方とはいえ、近世・近代語としては共通語・標準語といってもいいのじゃないかしら。京言葉でも「いきしな(行く際)」「かえりしな(帰る際)」などというのじゃないかしら。
私:ははは、待ってたぞ。その言葉。確かに飛騨方言でも「いきしな(行く際)」「かえりしな(帰る際)」はよく使う。だから今夜の話題とした。ところで「しな」の語源は君ならご存知だよね。
君:あら、お言葉ね。たいていの古語辞典に、高校生が使う辞典にも、記載されているわよ。しだ《名》《上代語》とき。ころ。東国方言。
私:まあね。要は万葉集の東歌だよね。二つある。3478番と4367番だ。実は更には肥前風土記の用例もある。ドキッとしないかい。
君:むむっ、わかったわ。肥前は九州、つまりは東国じゃないわよ。
私:その通り。つまりは僕に言わせれば、・・東国方言と断定するのは言い過ぎ。
君:ほほほ、なるほど珍説ね。
私:ああ、珍説だ。でも「東国方言じゃないかも」という左七節はは本邦初公開だよ。さて角川古語大辞典には実は肥前風土記の記載もある。それでも同辞典の記載も東国方言の立場だ。根拠は万葉集に二つの歌があるという事だからだよね。肥前風土記は、やや後代だったかな。細かい事は忘れた。がしかし、左七はつい数分前に傑作な事実を発見した。これこそ正に本邦初公開だ。ふふふ、わかるかな。
君:なにいってるの。あなたがちょいと調べて気づく事なんて日本方言大辞典全三巻をちょいとのぞいて気づいた、という事だけじゃないの。
私:ええっ、ばれたか。
君:そりゃあ、わかるわよ。数年というか、初対面から四十年近いお付き合いよ。ッてな事、なかったわね。知り合ったのが四十年ほど前。
私:うん、それはさておいて日本方言大辞典全三巻を見たが、やはり、みだしは「しな」だった。そしてこれは全国各地の方言になっているし、各種の音韻変化も生じている。重要な事実としては古代の音韻「しだ」が残っている地方が、やはり存在した。しかも地域は極めて限定的という事に気づいてショックを受けた。
君:東北地方のどこいらあたりかしら。
私:なっ、なんと。東北じゃないんだ。四国。徳島県、高知県、高知市。
君:四国にのみ古代の音韻「しだ」が方言として残っているという事ね。
私:要はそういう事。東国じゃないんだ。つまりは方言学的には西国説、然も四国説と考えるのが自然だ。
君:それで、成書は調べたの?
私:そこが悲しい、浅学菲才の左七が万葉集のプロではないし、手元資料も少ない。西郷信綱先生の著書も集めはじめ、上古の言葉をすこしずつ勉強しはじめたところだ。
君:そういうのを「勉強しなに大発見」というのよ。ここはエンタメ系でしょ。親父ギャグでお願いね。
私:ありがとう。ところで、左七はかつての君との帰りしな別れしなの言葉がいまだに忘れられない。「私達、心は近いけれど、住んでいる所が遠すぎるのね。」
君:帰りしな別れしな?ほほほ、名鉄名古屋駅ね。ええ、覚えているわよ。昭和は遠くなりにけり。ほほほ

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