二、三の書を拾い読みしてお書きするのも憚られますが、
飛騨方言一口メモという事でご容赦を。
さて飛騨方言の特徴といえばサ行動詞イ音便の動詞活用ですね。
飛騨方言の動詞活用におけるサ行イ音便
を参考までに。
音便は話法としてはかなり古い用法です。
実は奈良時代に既にあったのですが、
平安時代に盛んに読み書きされるようになりました。
最も歴史が古いのがイ音便(出して->だいて)、ウ音便(美しく->うつくしょう)、
次に撥音便(読みて->読んで)、促音便(行きて->いって)です。
蛇足になりますが飛騨方言で、うっつくしょうだいて、といいますね。美しく出して、という
事なのですが、一つ残らず全部提出して、という意味です。
出す動作が優美であるとか、出したものが整然としている、という
意味は飛騨方言に関する限りはありません。
つまりは、うっつくしょうだいて、という言い回しは平安初期の京の都の
言い方というわけです。あくまでも推察ですが、方言周圏論に従い
はるばると飛騨の地に到達した話法という事ではないのでしょう。
やはり、平城京・平安京の造営に携わった飛騨工がもたらしたのです。
飛騨工がかくも飛騨方言成立に重要な役割を担っていたと
筆者が直感するのはその人数です。律令時代に収めるものが無い
貧しい飛騨の国はマンパワーを献上という事で租庸調を免れました。
飛騨の各村々五十戸毎に十人ずつが都へ一年間の長きに渡り出張し、
これが延々と繰り返され、延べ人数は四万人とも言われます。
これならば平安時代の都の言葉が飛騨に入って来たとしても
なんら不思議はありません。
また匠とはいえ、ごく一部のエリート大工さんをイメージしては
いけません。一部は掃除・賄いなどの雑役夫です。
つまりは平安初期の飛騨と京の都は大人数の飛騨民間人による交流が
黙々と数世紀に渡って行われてきた次第です。
以下はまとめに。
まとめ
西日本方言を中心に全国に平安初期サ行動詞イ音便
が見られるのですが、どっこい、飛騨方言も代表格。
その成立に大きく関与したのが都に一年生活し飛騨に戻った
飛騨工、その数四万人です。
やったぞ、飛騨方言は全てこれで説明がつく。
( つまりは佐七は最近、重症の思考停止状態です。)
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