大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

岐阜県白川郷方言についてのひとつの見方

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高山市久々野町に堂之上遺跡があり、縄文時代の飛騨人の暮らしを 垣間見る事ができます。 何度か足を運んだ事がありますが、それらしい建物の中に入り、 火をながめていると自ずから縄文人が用いていた語彙が心に浮かびます。 例えば、
おう、焼けとるなあ。
もお、ええぞ。
さあ、食わまいが。
ありゃ、まんだ焼けとらん。
もちょっと焼かにゃだしかん。
くらいの意味を表現することばというものはあったのですね。 また何を焼くのか。肉、魚、木の実、等々、これらの名詞があった事も 間違いありません。 実証のしようがない荒唐無稽話で空しい気もするのですが。

実は飛騨地方でも、弥生文化の遺跡が発掘されており、 飛騨にただ二つ、高山盆地、国府・古川盆地のそれなりの平野をみましても、おおいに弥生文化も 栄えたであろう事が直感できます。ところで飛騨でもひとり白川郷のみ、 不思議な事に弥生遺跡が見つからないそうです。 縄文東日本文化圏を温存する地方といえましょう。 田はありますが、中世以降の 事だったのでしょう。

白川郷の暮らしと風土 などをご参考までに。 "今に伝承された木の実のアク抜きの技術、漆、木工、絹織物、 狩猟、漁労法などの知識はほとんど縄文時代に開発され、 連綿として子孫に受け継がれてきた。"との記載があります。 つまりは、白川郷の言葉には、 ポリネシアと同じ言葉がひとつやふたつはないのでしょうか。 すかさずネット調査です。 白川郷+方言調査、をキーワードにまとまった情報が得られました。 学術論文の草刈場というところでしょうか。 ところが、白川郷+ポリネシア、のキーワードではゼロ件でした。

しかしながら当文章に両語をキーワード登録していますので、 いずれは一件ヒットするかも。むっ、むなしい。

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