大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代

飛騨の古墳時代

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私:古墳時代と言えば謎に満ちた時代だが、飛騨にも古墳時代があって、住んでいたのは飛騨の古墳時代人、話されていたのは飛騨の古墳時代語。
君:何を馬鹿な事をブツブツ言っているの。おかしいわよ。
私:うん、その事で僕自身が困っている。おかしいのは昔から。
君:いいから、言いたい事を簡単に言って。
私:奈良時代に高山市に国分寺が出来た。この辺りをもって歴史の始まりとしたいところだが、実は国分寺は畿内はもとより東海道、東山道、北陸道、はじめ西日本一帯に建立され、長野県上田にも信濃国分寺が建立されている。従って当時の日本の国境は東北近辺という事になる。
君:それで。
私:先ほどは全国の古墳の大きさを片っ端からネット検索してみた。
君:それで。
私:北陸で最大が柳田布尾山古墳。富山県氷見市。墳長107メートル。
君:それで。
私:東海地方で最大は断夫山(だんぷやま)古墳。名古屋市熱田区。熱田神宮の近く。墳長150メートル。
君:ほほほ、次は岐阜県最大の古墳ね。
私:昼飯大塚古墳。大垣市昼飯町。墳長99メートル。うーん、やはり岐阜県は愛知県に負けているなあ。古代からだったのか。再認識してしまった。
君:ほほほ、続いては飛騨で最大の古墳ね。
私:そうです。わくわく感がハンパ無い。
君:いいから、早く早く。
私:こう峠口古墳。高山市国府町広瀬。墳長72メートル。
君:うーん、残念。大垣より明らかに小さいのね。
私:ふふふ
君:えっ、何?
私:実は、こう峠口古墳だが、ある面で岐阜県で最大です。全国子ども考古学教室
君:なるほど、玄室が岐阜県下で最大ね。飛騨の古墳もなかなかなものじゃない。ほほほ
私:いくつかの事が言えそうだ。
君:簡単にお願いね。
私:北陸最大の柳田布尾山古墳と東海地方最大の断夫山古墳は共に継体天皇ゆかりの古墳とされる。こう峠口古墳も同時代だったのじゃないだろうか。全国的なブームかな。つまりは飛騨にもそれなりの古墳時代があって、古墳人が住んでいたのだし、継体天皇に繋がっていたのかも知れない。日本書紀には飛騨の両面宿儺が大和朝廷に反旗を翻したと書かれているが、こう峠口古墳の埋葬者が誰なのか、実はわかっていない。江戸時代に盗掘に会っているそうだ。征夷大将軍・坂上田村麻呂が高山から松本へ抜けて、つまりは東北征伐に行ったのは当時、北アルプスが前人未踏の地だったから。つまりは安房峠越えは小手調べという事だったのかな。
君:東大寺諷誦文稿には飛騨工の話す言葉は意味不明、と記載されているので、つまりは飛騨の古墳時代は豪族は倭語を話し、庶民は縄文語を話していたのでは、とおっしゃりたいのよね。ほほほ

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