その時歴史が動いた、という事で今ひとつの流行言葉になっているのではないでしょうか。大相撲ですが、三分もがっぷりよつの力士が突然に再び技を出し合うと思わず、
その時、力士が動いた!!
なんてテレビ見て叫びませんか。私なんか娘の通知表みて突然、その時評価がさがった!!と叫んでしまった事が。
飛騨方言といっても岐阜県の方言の一部なので美濃方言という事で紹介されている事があるのですが、あれってホント正直申しますといやですね。例えば、各務原市方言、関市方言の事を美濃方言ですと紹介されても両市の方は素直に受け止められるのではないでしょうか。つまりは岐阜市とは隣町なのであるし、岐阜市の知名度にはかなわない。がしかし岐阜は美濃の国と飛騨の国、飛騨方言が美濃方言といっしょにされてはたまったもんじゃありません。ですから飛騨方言は岐阜県の方言だけれど、決して美濃方言じゃありません、飛騨方言です。
以上が長い長い前置きでした。歴史が動いた!!とは実は筑摩県庁の火事です。ところで明治になり随分とドタバタした時代に突入しました。飛騨の天領が突然廃止、慶応4年・明治元年の5月23日 (旧暦)に急遽、高山県が作られたそうです。ところが明治4年 8月29日(旧暦7月14日)に廃藩置県、飛騨・木曽・松本界隈を併せて同年12月31日(旧暦11月20日)に筑摩県が誕生、信州方言も飛騨方言もあったもんじゃありません、筑摩弁です。今風ならばやはり別名、北アルプス県の北アルプス弁とでもいうのでしょう、県政は五年続き、そして運命の日、歴史が動いた日を迎えるのです。(以上の資料は Wikipedia "筑摩県"様から、御礼申し上げます。)
なんと、1876年(明治9年)8月20日 に筑摩県庁が焼失したのを動機に筑摩県は分割され、それぞれ岐阜県と長野県に合併されて消滅した。以来、飛騨方言は時々は岐阜方言と紹介されてしまう悲哀を味わいつつ現在に至るのです。一方、松本方言はイコール信州方言、イコール長野方言の地位は未だ変わらず、文化の中心として高山以上に発展していらっしゃいます。
明治の女工の野麦峠越えは決死行にも近かったといえば大げさでしょうか、とにかく大変なものだったのでしょう。がしかし現在は安房(あぼう)トンネルもでき、高山−松本間は車でスイスイ、幻の筑摩県の表紙が松本ならば裏表紙は高山という訳です。歴史に"若し"はありませんがそこを敢えて、若し筑摩県庁の火事がなかったのならやはり現在も筑摩県だったのでしょうね。
そしてここはザ・筑摩弁フォーラム(高山 edition)になっとったんやさ。だばえたいな話やけどなあ。そしゃ。
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