大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

明治以降の国語教育と飛騨方言

戻る

飛騨方言の語彙・文法などは既に近世には 現在のものに近かったのでしょう。 従って明治以降の飛騨方言についてはとりたてて 書く事もありません。また筆者は明治以降の国語教育 の実態についてあれこれ書ける技量はありません。 という事で資料のご紹介のみ。

荒垣秀雄著・北飛騨の方言、の一節です。 昭和七年の出版で旧吉城郡の明治・大正・昭和初期の 語彙約三千の辞書です。以下原文のままですが、
"飛騨各地の小学校では悪い方言矯正のため 代表的な児童の日用語を 例へば左の如き一表に集め戒めているが、 児童は却って面白可笑く経文の如く暗誦し 矯正の目的は容易に達せられぬ模様である。

オリ・ワリ・アイツ・ダラ・ダチカン・ゲバイタ・ ナモ・サランヨ・イワッタ・シコ・ショーバイネ・ デカイ・ムテンネ・・・・・"
思わず絶句、筆者がかろうじて納得できる言葉はダラのみ。 馬鹿・阿呆(ダラニスル=馬鹿にする)、という意味です。 悪い方言、というからには、やはり差別用語、罵詈雑言、 隠語、等々に限られるのではないでしょうか。 書く事すらはばかられます(しまった!私も今、書いちゃった!)。 ましてや表にする、分類作業とは。

ナモ、は、何にも、の省略でしょうね、意味は、いいえ、です。 別に話しても良いような気もするのですが。 でも教室の壁に一覧表を貼ってこれらの言葉 を使わないように、といっても明らかに逆効果です。 (筆者も必ずやそうするでしょう) 経文の如く暗誦という言葉に思わず笑ってしまいます。

又若し私が先生なら表を示しながら、
"ええか天皇様の子なんやで、こんなゲバイタ(=ばかな)言葉を商売ネ(=専らそれを生業として) しゃべる奴はイワッタシコ(=弱った醜態さらし)や。ダチカンぞ。(=だめだよ)"
と言って生徒を笑わせるでしょうねえ。

ページ先頭に戻る