大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム<

平民苗字必称令

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私:今日は少し変わって名字のお話を。飛騨方言に興味があるが、飛騨の地名にも興味がある。最近の記事としては、オートバイで丹生川町を走っていた時に「四反田」という宿の看板を道路わきにみつけて、おっ、と思った事がある。
君:読みは「したんだ」ね。
私:そう、すぐさま思い浮かべられるのは京アニ「氷菓」のヒロイン・ちたんだエル。「チタンダ」は「四反田」を参考にした空想の名字という事らしいね。
君:表題はどういう事?飛騨の珍しい名前が話題なのかしら。
私:いや、今日は序章という事で。戸籍ガイドを参考までに。
君:明治8年(1875)2月13日の事ね。明治新政府が国民全員が名字を名乗らないといけない、と定めた法律ね。
私:尾脇秀和「氏名の誕生」ちくま書房にも詳しい。
君:簡単に書評をお願いね。
私:うん。平安に貴族が誕生し、鎌倉からは武家社会が誕生し、この二つの集団がそれぞれ独自に複雑な姓名制度を作り江戸時代末期に至る。ついには王政復古。それまで屈折した思いでいた京都の公家集団が武家の姓名制度を全否定、明治時代は役人の官職名を記述するのに大混乱の幕開けとなった。ただし新政府の主流派は薩長土肥の士族。結局は士族派に押し切られ公家派の惨敗、明治5(1872)年5月7日複名禁止令、平たく言えば戸籍法が成立し、続いて平民苗字必称令の制定により、国民全員が名字を登録しなくてはいけない事になった。
君:飛騨に関して言えばどうなのかしら。
私:江戸時代の飛騨の人口の大半は農民。つまりは名字が無い人が多かった。
君:江戸時代から名字のある人もいたのね。
私:うん。無かった人は、地名、地形、方角、職業等々から自由な発想で自分で考えたり、寺の住職等、知識のある人に考えてもらったり、あるいは村の全員が同じ名字にしたり、様々だったようだ。
君:蛇足ながら「苗字・名字」は同じ意味だけれど、「常用漢字表」では「名字」となっていることから、公文書では「名字」を使うのよね。平成17年以来、文化審議会国語分科会に設置された漢字小委員会が決めたのね。
私:うん。ついで、といってはなんだが、常用漢字チェッカー総合漢字チェッカー というネットサービスを発見した。
君:ほほほ、便利ね。
私:締めくくりに一言、女性は結婚して名字が変わった事に快感を覚える人もいれば、そうでない人もいらっしゃる。君はどう?
君:愚かな質問ね。ところで夫婦別姓は世界の流れかしらね。
私:変わったところでは研究者。若くして独身時代に業績を作っている女性は論文だけは結婚後も旧姓で通しておられる猛者がいらっしゃる。第127回 変わると困る研究者の「顔」?旧姓使用と選択的夫婦別姓制度
君:奥様や娘さん達?
私:いやあ関係ないな。ただし icloud でメアドを取得する時、家内は困っていた。名字も名前も平凡なので。ただし、そこで妙案が浮かんだ。旧姓をミドルネームにしたら解決したんだよ。ははは、使わない手は無いね。女性の特権でしょ。特に名字が変わった事に快感を覚え、実家の苗字にも愛着を覚える人にはお勧め。僕に関しては雅号・大西佐七は気に入っている。左七は大西村の屋号です。名字がなんともならないから、今はきらきらネームの時代だが、これは立派なビジネスらしい。若い日本人の国語力がアップしたわけではないんだ。また実例は控えさせていただくが、英語やラテン語の響きからするとアウトの名前も多い。知らぬが仏。
君:なるほどね。言わぬが花、というわけね。

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