大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

万葉方言、所謂八丈方言との対比検討

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ネット情報だけに頼ってものを書くにも限界というものが ありますが、其処を敢えて。 万葉時代(大和時代〜平安時代)の飛騨方言について筆者なりに気づいた事を お書きしましょう。

さて律令時代におびただしい数の飛騨工が都の造営に携わり、 奈良・京都の都言葉を飛騨に持ち帰りました。 例えば代表的飛騨方言・けなるい、の語源は古語辞典にある、け(異、形動ナリ、違っている(心あれかも、常ゆ〜に鳴く、万13,3328)、 優れる・優る(行ひなれたる法師よりは〜なり、源・葵))、です。 飛騨方言には万葉時代の多くの語彙が生きており、 最古参の方言のひとつといえましょう。 ただし残念ながら"万葉方言"をキーワードにヒットする情報は数件のみ、皆無に 近くこれ以上の議論は出来ません。

さて、ここに登場するのが八丈方言です。 東京都八丈町役場公式サイト記事・八丈島の歴史記事を 拝読するにつけ、
"八丈島の古代については、考古学会でも無人島であったとされていたが、昭和37年夏、弥生初期の石斧が三根、樫立から、また昭和39年1月、縄文時代の打製石器が樫立から出土し、八丈島にも先史時代の文化が存在していたことが証明されました。"
の如くですが、 実は八丈方言は万葉時代の言い回しがテンコモリであるために 万葉方言の代表選手という事で 国語学史上も貴重な方言であるにも関わらず、 その事に一切触れられていない事が少し残念です。

唐突ですが方言博士・飯間浩明氏が苦労して手に入れられました八丈島の方言辞典の記事に おもわず拍手です。金田一春彦氏が絶賛する出版物という事でその書の価値がわかるじゃありませんか。 蛇足ながら、小生とて自称・飛騨方言研究家、近くにある図書館の飛騨方言の蔵書はすべて目を通しました。 また、出版されているものは全て問い合わせてみました。がしかし全て絶版でした。 正直に申しましょう、小生は飛騨方言に関する限り蔵書はゼロです、とほほ。 でも飯間さん、ホントに良かったですね。

前置きが長くなりました。 八丈方言については、 八丈島の居酒屋おおわき様の八丈島の方言 をネット情報の代表としてご紹介します。 実は小生はコツコツと八丈方言の情報を集めていたにせよ、 ほとんど飛騨方言との接点がなく、飛騨方言は所謂万葉方言の 代表選手・八丈方言とは無縁であろう、と考えていたのです。

ところが長生きはしてみるものです。先ほどですが、 XOOPS Hida Newsの 記事が目に留まりました。 ひだニュースWEB飛騨高山通信部、 〒506−0817 高山市山口町1157 丸山肇(まるやま・はじむ)様が運営されるサイトです。 氏による「飛騨国検定第一集」については“げばす”(失敗する)という動詞は、どのような語源とする説が主流か にご紹介しています。 そして XOOPS Hida News のひだノート>ひだの書籍、の項目 をご一読ください。
八丈の方言・岩滝方言・木戸脇周三・瀧井孝作
私と同じ高山市山口町(旧大八賀=おおはちが=村山口)出身の故木戸脇周三は、生前に『懐かしい飛騨のことば』を著した。 ・・中略・・なぜ、今ごろ木戸脇を思い出したかというのは、テレビ番組で八丈島の方言が流れていたのを聞いたことに始まる。 そのなかで「おじゃる」「たもれ」ということばがあったように聞こえた。 同じ方言が、飛騨では木戸脇や私の生地に近い岩滝地区に残っているからだ。
の記載に思わず絶句、同じ飛騨人でありながら実は私は一度も聞いた事も話した事もない言葉 「おじゃる」「たもれ」だからです。 蛇足ながら木戸脇氏は小生の高校の先輩です。著書は絶版でした。 また小生には親しい高校の友人で旧大八賀出身の人間がいるのですが、 うーん、彼から「おじゃる」「たもれ」を聞いた事はなかったですねえ。

やっと本題です。丸山肇氏は文筆家、著述業、飛騨の名士、ですから 彼が発信される情報は鵜呑みにしてもよいでしょう。 そして私が書きたかった事は以下の通り。
まとめ
飛騨方言は八丈方言と同じく「おじゃる」「たもれ」の語彙を有し、万葉方言のひとつであるかもしれません。

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