大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 奈良・白鳳

飛騨の寺社仏閣

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私:飛騨方言の歴史を考える上で、そもそもが飛騨の歴史そのものを知っておくことが肝要。古くて残っているものと言えば寺社仏閣。今日はこの辺を考えよう。平凡社・日本歴史地名体系21岐阜県の抜粋を試みよう。
君:考えるまでも無いわ。まずは日本神道ありき。神社が最古で、続いて仏教伝来という事でお寺が続くのよね。
私:まあ、そんなところだろう。早速、始めよう。
君:ええ。
私:まずは飛騨の両面宿儺伝説。日本書紀。691年。おそらく荒城(高山市国府町)の白鳳期寺院との事。推定の域を出ない。
君:まあ、無視していいわね。
私:そう、無視。続いては律令制が完成した大宝・養老令。肝心の国分寺が現高山市なのか国府町だったのか、この辺りも不明だそうだ。
君:早くも予想外の展開。神社より寺が先。しかもその寺の位置が不明。やれやれだわね。
私:以上が総論、というか序。では各論に移ろう。
君:ええ。
私:一挙に列挙します。
益田郡金山町租師野・八幡神社、1181
同金山町中津原・萬福寺、724
同下呂町森・八幡神社、平安鎌倉
下呂町乗政・八幡神社、1166
萩原町中呂・禅昌寺、1377
萩原町旅館屋敷・諏訪大社、1327
萩原町上呂・久津八幡宮、1159
小坂町小坂・長谷寺、1342
小坂町小坂・浄福寺、1524
宮村石原・水無神社、851
宮村山下下・大幢寺、1368
丹生川村下保・千光寺、1224
高山別院照蓮寺、1221
高山市宗猷寺町・宗猷寺、1633
高山市天性寺町・素玄寺、1609
高山市天性寺町・法華寺、1558
高山市愛宕町・大雄寺、1586
高山市総和町・国分寺、741
高山市神田町・飛騨総社、1186
国府町木曽垣内牧戸・阿多由太神社、室町
国府町宮地宮垣内・荒城神社、不詳
国府町鶴巣大洞・清峰寺、1313
古川町弐之町・本光寺、1532
古川町三之町・真宗寺、1542
古川町殿町・円光寺、1514
古川町上気多・気多若宮神社、873
古川町片原町・林昌寺、1573
古川町太江左近・聚楽寺、1688
古川町袈裟丸・慈眼寺、1617
神岡町小萱・小萱薬師堂、鎌倉
神岡町殿・円城寺、1492
神岡町殿・瑞岸寺、1392
神岡町船津・大津神社、1804
神岡町船津・円城寺、1649
上力村長倉小垣内・桂峰寺、1278
上宝村村上・村上神社、1381
ふう、達成感あり。
君:日本史やったわね。
私:大学受験?ああ。仏教伝来を答えよ、ってのかい?欽明天皇(552)だな。日本書紀の記載あり。ざっくり言うと六世紀。
君:上記の数字の根拠は?
私:書物が残っていたので創建の年代がわかった、という事じゃないかな。
君:うそが書かれていた可能性は無いのかしら。
私:なんと罰当たりな。やめとけ、そういう考えは。
君:そりゃそうだけど。
私:ひとつ言える事は上代から飛騨にはお寺があり、最も古いのが国分寺跡。
君:いいえ、最も古いのは益田郡金山町中津原・萬福寺、724、じゃないかしら。
私:いやあ、正にその通り。うん、これは意外だった。萬福寺の後に高山国分寺が建立されたんだね。
君:古さと言う点に於いては飛騨の神社様方は惨敗ね。
私:そうなんだよ。これも意外だった。上代の飛騨方言の成立は縄文語から和語へ、という歴史だったが、実は八世紀以降からドドッと漢語、つまり仏教語が雪崩れ込んできたのじゃないかな。何気なく話している日本語、何気なく話している飛騨方言だが、大陸の仏教文化の影響はあまりにも大きい。
君:第一に朝鮮半島から大陸文化が伝わったのだし、朝鮮からの大量の帰化人。
私:白村江の戦い、百済滅亡、大量の百済難民受け入れ。日本もウクライナ国民を受け入れたポーランドのような時があった。
君:頑張って!中大兄皇子。ほほほ

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