大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
首都圏の言語 |
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私:僕自身を一言で表すとビートルズ世代。少年期から青春期に至るまで現役の彼等と駆け巡った事が懐かしい。愛、平和、自由、平等が彼らの主張。 君:然もロックでかっこよく、なのよね。 私:合わせて戦後生まれの我々は高度経済成長期の申し子と言えるだろう。 君:前置きは兎も角、方言のお話にもっていったらどうかしら。 私:高度経済成長期と言う言葉を方言学的に一言で表すキャッチコピーがあるんだ。 君:もはや戦後ではない、が有名だけれど、これは方言とは言わないわね。 私:東京方言(下町言葉と山の手言葉)が消失、代わって首都圏という言語圏の誕生だ。これが高度経済成長期。 君:戦後まもなくとはいっても東京方言が引きずっていたのよね。 私:戦後まもなくまで、正にそれが東京方言だ。然しテレビ放送開始と共に、また首都圏という巨大経済圏の誕生により山の手と下町の区別はつかなくなる。それどころか東京語が完全に全国を席巻するようになる。但し関西圏は別。詳しく知りたければ「首都圏の言語」をめぐる概念と用語に関して、鑓水兼貴、国立国語研究所。 君:国語の世界も大改革。つまりは現代国語と古文の二本立て教育が始まったのよ。現場は大混乱。 私:うーん、そうか。・・ちょいとネット検索・・高度経済成長期の「国語科」像 ―益田勝実国語教育論 ―益田勝実国語教育論を視座に―、これなんかそうだね。要約すると、二本立て教育批判。国語は現国・古文に二分できるような学問ではないという事かな。納得。戦前の教育は古文に偏っていたという事かな。江戸時代以前と言えば漢文一辺倒。 君:東京方言が消失したくらいだから、地方の方言は推して知るべしね。 私:要はそういう事。それとちょいとネット検索の続きで気づいた事がある。戦後小学校国語教科書におけるキツネ表象の変遷 : 高度経済成長と言語文化の深層がヒットした。残念ながら内容が不明だが、これも推して知るべし。 君:うーん、どういう事? 私:現代人はキツネに化かされる事がなくなった。タヌキもそうだろう。つまりは現代の初等教育には遠野物語に著されるが如き蜩c民俗学は無い。 君:科学技術社会に生きる現代の子供達。 私:でもそこは日本人、キツネ表象が消滅したわけではない。ファイターズきつねダンスとか。町おこし狐の嫁入りイベントとか。 君:方言学も、そして民俗学、文化人類学は大学までお預けね。ほほほ |
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