大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

東京語

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私:さきほどは明治の東京方言について寄稿したので、ついでに戦後の東京語について語ろう。
君:伝統的方言を東京方言と定義し、概ね明治から昭和初期までの東京を中心とした言葉遣いね。
私:祖国とは国語である、国語は国家なり、人は国に住むのではなく国語に住むのだ、いろんな言い方がある。有名な格言。別の言葉に「フランス人って誰?」という命題がある。パリに住んでも仏語を話せなければフランス人とは言わない。
君:脱線しているわよ。東京方言と対峙する言葉が東京語。東京語とは概ね戦後の言葉を示すのね。
私:そう。高度成長期に言語圏は拡大し、現在は首都圏の言葉。こういう話題になると己の経験に照らし合わせてお話をする事ができる。僕は昭和28年の生まれだ。両親及び四人の祖父母、つまりは六人の大人の飛騨方言シャワーで育った。
君:ほほほ、そんな左七君が東京語を知るようになったきっかけは?
私:ラジオで決まり。一丁目一番地という連続番組を聞いていた事を憶えている。主題歌も。
君:1965年4月2日放送終了となっているから、左七君は物心ついたころから12歳まで、月曜から金曜まで聞き続けていたのね。
私:小学校低学年の辺りの記憶は生々しいね。但し、当時は小学校に村でたったひとつ、テレビがあった。授業の一環で視聴した事を思い出す。東京オリンピックは図書室に設置されたカラーテレビで視聴した事を思い出す。遅ればせながら我が家にもテレビがやってきた。ラジオはテレビに取って代わられたので、12歳あたりのラジオ番組は記憶が無い。
君:テレビの一番に古い記憶は?
私:月光仮面、怪傑ハリマオ、七色仮面、少年ジェット、竜巻小天狗、白馬童子、等々。
君:ほほほ、男子向けの熱血番組ばかりね。
私:そう。テレビを通じて東京語シャワーを浴び続けた左七少年だった。
君:YouTubeの時代だから、一つくらいはお披露目なさったほうがいいわよ。
私:うん、例えば

君:子供がオートバイに乗り、拳銃をぶっ放すって一体??
私:いいじゃないか、そんな事。主題歌の「ジェイ・イー・ティー!」がJETを意味する事を知ったのは1966年に中学に入学し、英和辞典を手にしてからだった。ぶっ
君:あなたが古希に近いのに未だにオートバイに乗る無類の二輪好きなのはテレビ番組の影響なのね。
私:心理学でいうところの imprinting ってやつだ。月光仮面もよく観た。
君:主役は大瀬康一さんんね。隠密剣士でも有名ね。ほほほ

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