大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言に於ける身内尊敬

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手元にあります資料ですが、加藤正信、尊敬語講座・六、昭和四十八年、 によりますと、大雑把に西日本が身内尊敬表現を持つ地方のようです。 九州・四国・中国・京阪神全域・紀伊半島全域・三重県全域及び北陸三県全域と 新潟全域を含む地域です。

その一方、愛知、岐阜、長野三県全域、飛んで東北全域が他者尊敬方言域です。 静岡及び関東が丁寧表現のみの方言域で、福島県界隈は無敬語方言域 となっています。

実は身内尊敬表現は日本の伝統的語法であり、その天王山が京言葉というわけで、その影響は九州南端にまで 及んでいるという事なのですね。 端的な例が自分の家に入った泥棒に対しても、
たんすの中の着物すっかり持って行ってしまわはったんどすがな。
とか、また時には無生物に対しても、
電車がお子達を轢かはったそうどすな。
という敬語があるようですね(金田一春彦、日本語方言の研究、東京堂出版, pp146)。 また関東地方の方言は概してぶっきらぼうな 言い方という事であり、愛知、岐阜、長野は敬語方言に関しても、 東西の方言対立の緩衝帯である、と説明できましょう。

然しながら飛騨方言には他者尊敬方言しかなく、身内尊敬表現は無い、 と結論するわけにはいかないでしょう。 身内尊敬は誤法、良くない事である、他者尊敬を使いなさい と教える小学校教育の影響が相当にあるはずです。 つまりは、飛騨の子供の言葉使いは、共通語としては他者尊敬、 飛騨方言としては身内尊敬を使いわけているのでしょうね。 私の父が〜、あるいは、私の祖父が〜、のように 話せば最早、飛騨方言ではありません。 おらんとっつぁまあ〜、おらんじさまあ〜、 の如く、子供が親を、妻が夫を様付けで呼ぶことは寧ろ自然です。 あるいは母親が長男を、あんさま、と言う事もあるでしょう。

飛騨方言では但し、ごて・御亭、は他者尊敬に用いられても身内尊敬 に用いられる事はありません。 筆者が面白いと感ずるのは、この、ごて、という言葉が 実はあまり尊敬の意味が無くて、そこのごて▼○○○●、 といえば単に、あなたの夫、という意味で用いられる事ですね。 そこのとっつぁま、と言ったほうが明らかに 尊敬の念が感じられます。 大胆にも推察しますが、もはや身内尊敬で用いられない、ごて、 という言葉はいずれ蔑称となる可能性があります。 例えば友に対して、おまえ、と言う事はあっても、自分の親に、 おまえ、と言う事はないでしょう。ふふふ。
      尊敬の対象
      −−−−−
      他者 身内
じさま   有り 有り
ばさま   有り 有り
とっつぁま 有り 有り
かかま   有り 有り
あんさま  有り 有り
ねさま   有り 有り
ごて    有り 無し
おまえ   無し 無し
おまえさま 有り 無し
結語ですが、身内尊敬を迫害し続ける小学校の国語教育と新人研修のビジネス敬語特訓。 そして飛騨の佐七が独りはしゃいでいる、ふれーふれー京言葉。 そやで身内尊敬したいときゃ京言葉風に飛騨方言でしゃべらにゃだしかんぞ。 共通語で話すと誰かに叱られてまうでな。 しゃみしゃっきり。
つい余分な一言
誰かさんへ、身内尊敬をいじめないでね。お願いだから。

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