大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

日本語のアクセントの成立に関する一考察

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先だって神戸に行ったのですが、三宮から新神戸駅にいたるまで、いくつもいくつも エスカレータを乗り継ぎました。坂にへばりついた縦長の駅なのですね。 そして港の町神戸の新幹線駅は相当高い所に あるという事なのでしょう。 余談はさておき、そのエスカレータですが、右端に立ち、左側はエスカレータを 歩くお急ぎの方のためにあける、という事が神戸の流儀なのですね。 ところが名古屋では誰もが左端に立つ。

いったい全体こんな習慣が日本で始まったのはいつからなのでしょうか。 平成生まれの若い方は生まれた時からこの社会現象をみていますので、 ずうっと昔からだろう、と思う事でしょう。実はそんなに歴史はありません。 十五年ほどではないでしょうか。

二十年も三十年も昔、といってもついこの間とも言い換えられますが、 日本ではエスカレータの上を歩く人などは一人もいなかったのです。 皆がお行儀良くエスカレータに乗り、そしてエスカレータは静々と登っていく。 さしずめこれは福島県あたりにおける崩壊アクセント・一型アクセントにも 例えられましょう。 そして自然発生的に全国各地で、エスカレータは片側を歩く人のために空ける、という 慣習が出来たのでしょうが、都市によってこれが右であったり、左であったり、 これが京阪式アクセント及び東京式アクセントの成立にも例えられるのでは ないでしょうか。もともと無拍の動詞が地域により、 頭高か平低のどちらかに振り分けられるのです。どちらになるかは、つまりは偶然です。

さて、実はここまでが非常に長い前置きです。ふふふ。 このような習慣が世界各地にあるのか、というと答えはハイ。 確か世界で初めて、ロンドンの地下鉄でこのような習慣が始まったのでしたっけ。 戦後の事でしょう。ロンドンっ子はせっかちが多いから、ついついエスカレータの上を 歩いたり走ったりする人が現れたのですね。そしていつとはなく誰もが片側に立つようになった。 こうすると便利だという事に誰もが気付いてきたというわけです。 二十五年ほど前、ロンドンへ出張しましたが、多くの人がエスカレータの上をドンドン歩いていました。 なんてお行儀のよくないせっかちな人達だ、と私は呆れたのです。

今では日本の各地で当たり前に見られる光景ですが、近代文化の発祥の国・英国から日本に 輸入された、という事なのでしょうか。とんでもありません。 自然発生です。そして自然発生してしまうと後戻りは出来ません。 手すりを片手でしか持てない方もいるし、第一にエスカレータの上を歩く事は危険をはらんでいるから、 と言う事で、やめるように張り紙なんぞをしても、所詮は無駄という事なのですよねえ。 第一に、回転ドアでは死亡事故があり、社会問題となり、多くの建物が回転ドアを止めてしまった。 ところで今のところ皆さんは、エスカレータの上で人がこけたとて死ぬものか、と思っておみえなのでしょう。 立法府も、多分そのようにお考えです。 これを法律で禁止する、という動きは今のところないようで。 アクセントに例えますと、不合理なアクセント体系を理論再構築して 徹底的に小学校国語で教える、というような事になりましょうか。

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