大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
東京式アクセント |
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僕:当サイト開設来、飛騨方言以外の事は書きません、という気持ちでやってきたので、今夜のお話もその延長上にある。 君:飛騨方言のアクセントは東京式という意味よね。 僕:要はそういう事。さてそもそもが東京式アクセントとは何か、この辺りのお話から。 君:一般的には首都圏で使われるアクセント、京阪神で使われる京都式アクセントに対して日本を東西に二分するアクセントととらえる日本人が多いわね。 僕:なんだ。わかっているじゃないか。飛騨方言のアクセントは、ヤッホー、東京式、という言葉に端的に表れているように、東京式とは花のお江戸のアクセントと勘違いする人が多いと思うが、実はそういう意味ではない。とても分かりやすい別名がある。 君:ほほほ、日本語アクセント。あるいは共通語アクセントと言ってもいいわね。 僕:正にその通り。だが、ここは方言エンタメサイト。僕はもっと面白い言い方をお示しできる。 君:うーん、マスコミのアクセント、アクセント辞典のアクセント、NHKアクセント、とか。 僕:違う。「なんちゃって東京」アクセントだ。東京式アクセントは東京アクセントではない。東京式アクセントの定義は共通語アクセントという事なのだから、共通語の定義も「なんちゃって東京」語である事は書くまでもない。つまり共通語は東京語ではない。共通語で東は「ひがし」だが、方言学的には東京語では「しがし」だ。 君:ほほほ、となると東京式アクセントという言葉が生まれた時期もわかるわよね。 僕:戦後。国研の白河調査で戦前まで「標準語」と言っていた言葉を改め「共通語」という言葉を制定した時から、という事になるね。戦前、というか、明治の初期辺りは日本全体のアクセント分布がどうなっているか、政府も誰もわからず、そもそもがアクセントとは何か、とか、その表記はどうしたらよいのか、学者の論争の時代だった。明治政府は国定教科書を定め全国の尋常小学校に配るが、地方の教師はなんと発音すればいいのかわからない、つまりは我流の授業という時代。ところが全国版のラジオ放送の時代になった。政府はすかさずこれを利用した。とりあえず東京界隈のアクセントで放送しちゃえ、という事で作られたラジオ番組が「国語教師の時間」。全国の先生は「国語教師の時間」を聞き、学び、授業に役立てた。文明開化につき押し寄せる外国語、これもラジオの全国放送をすればアクセントを全国一律にできる。 君:そして東京アクセントが全国に。 僕:ではないんだ。以上が前置きというところかな。 君:ははあ、実は東京式は江戸時代どころか、上代から全国各地に存在していたという事ね。 僕:そういう事。若し間違っていたらごめんね、古代には日本全体が東京式。飛騨も縄文時代から東京式だったのだろう。そこへ平安時代に近畿にどかんと京阪式アクセントが出来て、そして今日に至る。東京式アクセントの勢力分布は古くから北海道全部、福島を除く東北、新潟、山梨、三重を除く東海地方全て、中国地方すべて、福岡と大分の方言の地域。東京式アクセントという言葉は本当に誤解を生みやすい言葉だ。わかりやすく言えば「古くからの日本で最大派閥の全国的アクセント」という事。 君:つまりは博多方言も広島方言も飛騨方言も津軽方言も明治以前から東京式。 僕:その通り。共通語アクセントを制定するには日本で最も多くの地域で話されるアクセント体系にすれば社会の混乱が最小限になる。首都が東京なんだし、名付けて東京式アクセントが日本語アクセントですよ、と定めれば京阪神の方々もお黙りになるだろうという事だったんだよね。 君:「なんちゃって東京アクセント」は茶化しすぎよ。私なら「古代アクセント」がいいと思うけどな。 僕:うん、それもチャーミングな名前だね。では以上が前置きで、さあ東京式アクセントの本論にはいろう。 君:茶化さないでよ。手短にお願いね。 僕:うん。文節には一個のアクセント核しか無い事、下げ核の位置で同音異義語を区別する事(つまりは上がる事に意味がない、下がる事に意味がある)、一拍目と二拍目の関係が高低か低高のいずれかである事。この三つを特徴とするアクセント。 君:つまりは一拍目が高「頭高アクセント」なら必ず滝は一拍目と二拍目の間、という事ね。一拍目が高なら頭高で決まり、二拍目以降は必ず下がり二度と上がる事は無いという事なのね、一拍目が低なら「中高・尾高・平板」の何れで決まりだけど拍数に関係なく二拍目が昇り核。 僕:そう。意外に単純。先頭二拍が高高なら東京式ではないので京都アクセントに間違いない。桜は東京式は○●●だが、京都式は●●●。 君:京都はともだち●●●●とか。 僕:僕は本当はね、京都式を共通語に指定してもらいたかったな。「川・皮」は共に尾高、「雲・蜘蛛」は共に頭高、東京式は使いにくい事このうえなし 君:くものようなくも、は蜘蛛のような雲という意味ね。雲のような蜘蛛というのは少し不気味な感じというか、想像が難しいわよね。 僕:蜘蛛をつかむような話、というのも不気味だな。蜘蛛の子を散らすという熟語につられてうっかりと蜘蛛隠れと思ってしまいそう。 君:くもすけは雲助でも蜘蛛助でも可よ。 僕:だから東京式はいやなんだ。ついでに「川・皮」だが、川入りに皮煎り・川虫に皮虫、同音異義語で同アクセント。思わず馬鹿野郎と言いたくなる東京式。 君:ほほほ、京都式は頭高と平板で異アクセントなのね。でもお生憎様、日常で使わない言葉だわよ。ほほほ、話題作りの健気さだけは認めるけれど。 |
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