大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学<

九州方言・動詞五段化の古語的解釈

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私:久しぶり、方言学の雑談でもしようかと思う。
君:ここのところ暫く筆がお休みだったわね。
私:蔵書の整理に追われた。ほぼすべてのリストアップが終わったが、間違って同じ書籍を二冊買った事件が数回あったようだ。
君:読まないでいたから、という訳ね、積ん読大明神様。
私:そんなところだね。ぶらぶらと書店内を歩き回っての探しものが趣味だが、方言関係の書籍が目に入るや、電撃的に買う癖。
君:これからは貴方のサイトを自身が眺めて蔵書リストかどうかを確かめてお買いになればいいのよね。
私:その通り。前置きはさておき、早速に表題の件だが。今日は未然形に限定しよう。
君:九州のお方が「見ない」という意味で「ミラン」とおっしゃる事があるわよね。
私:うん。ところが成書によれば、この上一未然形の五段化活用は東海、近畿南部、出雲、九州西部となっていて、つまりは九州方言の専売特許ではないという事がわかる。これら四つの地域は地理的にはバラバラの地方だから、たちどころに方言発生のメカニズムが判るよね。
君:ええ、たまたま偶然に同時多発的に発生した現象、「誤れる回帰」「過剰修正」とでも呼べばいいかしら。
私:正にその通り。これが結構、「気づかない方言」の言い回しになっているケースも多い。これで実は大失敗した事がある。
君:えっ、失敗?
私:或るお方が「みらん」とおっしゃったので、ついうっかりと「共通語では、みない、ですよね」と指摘してしまったんだ。
君:反応は?
私:「生まれも育ちも九州じゃけん」とおっしゃった。これはつまり「方言意識」。「いえいえ、別に深い意味は、そう言うわたしゃ飛騨の高山なんやさ。今日から山猿さんってよばってくれんさい。」と応酬して、なんとか事なきを得た。
君:ほほほ、よかったわね、飛弾の片田舎の出身で。
私:話を元に戻そう。文語・口語を問わず日本語文法の大原則、語幹をどこまでと考えるかによって活用が決まる。ところで九州では「見る・みらん」と言うが「切る・切らん」ともいう。「切らん」なら共通語だ。同じラ行動詞なのに「みらん」はアウト、「きらん」は合格。何故?
君:答えが表題に書かれているじゃないの。国語の入試問題と同じね。国語の問題は答えが必ず問題に書かれている。だからその事にさえ気づけば国語で満点を取る事はたやすい事なのよ。
私:今の時期、その言葉こそ受験生には励みになるね。その通り、「見る」他マ上一の古語に「みゆ」自ヤ下二があり、その一方、「切る」他ラ五(他動詞ラ行五段)の古語は「切る」自ラ下二・他ラ四、つまりは「見る」の語幹は「み」で、「切る」の語幹は「切ら」という事と、「みゆ」ヤ行動詞が口語文法で終止形のみラ行となって形ばかりはラ行動詞となったが、その本質はヤ行での活用。その一方、「切る」は他ラ四から他ラ五への変化であれ、自ラ下二からであれ、「ら・り・る・る・れ・れ」「れ・れ・る・るる・るれ・れよ」になり必ずラ行で活用する。間違えようが無いという訳だ。
君:春眠、暁を覚えず。九州では「起きない」という意味で「起きらん」とおっしゃるのかしら
私:その通り。これが僕のような飛騨方言話者には「起きられない」という意味なのかな、という風に響いてしまうね。実際には不可能表現ではなく、単に否定表現という事なんだ。この辺りが方言のディープなお話になるのではないだろうか。「出らん」とか言われてしまうと「出席できません・無理です」のように響くね。実際には単に「出席しません」という意味なのだが。正直申し上げると下一の五段化の言い方は控えていただきたい。
君:ほほほ、そこまでわかっていて控えろも何もあったもんじゃないわよ。私ならお断り、「控えらん」だわよ。更には、「ひかふ控」自ハ下二・他ハ下二からだからむしろ「控へらぬ」かしらね。ほほほ
まとめ
九州方言「みらん」は「見ぬ」にて「見られぬ」にあらず。

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