大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

死語は方言也

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私なりにあれこれ考えて方言辞書を作り始めたのはいいものの、 国語辞典を調べてみたら、該当の語はキチンと掲載されており、実は共通語、実は方言じゃないという事で 思わずうろたえる事が最近なんどかありました。

がしかし、どう考えてみても死語、実体験としてよその地域の方に話して通じなかったのであるし、たとえ 国語辞典に掲載されていても、堂々と、私たちの方言ですとネット発信してもかまわないでしょう、と 私は国民の皆様に主張いたします。

さて古語辞典にある語が掲載されていれば、方言に間違いありませんので、これはネット発信すべきでしょう。 つまりは、古語辞典の世界というものは方言の認証局とでも呼ぶべきものです。

そして、現代語辞典にある死語ですが、死語である以上、日常生活語ではありません、 耳慣れない言葉であるからこそ辞書を引いて初めて知る言葉、といってもいいかもしれません。 つまりは辞書を引いて初めて知る言葉であっても、古語辞典ならば方言、現代語辞典なら共通語、 つまりはそれを知らない事は無教養、という論理はぶっきらぼうにすぎると考えるのです。 時代が移れば、死語はいずれ古語辞典に記載されるようになるのです。

つまりは、死語がいずれ古語辞典に掲載されるようになる時代まで死語を方言としてネット発信するのを待つ必要はない、 国語辞典に死語を見つけたら積極的に方言として発信すべきであると私は主張いたします。

また死語であると感ずるにも個人差があります。 例えば、かしわ、という言葉があります。鶏の肉です。 日本人なら誰でも知っていなければならない言葉でしょうか。 そう主張なさる方もありましょう。がしかし、ある地域ではにわとり、といわず、むしろ、かしわ、を主に 使用するのなら、ご当地の方言・かしわ、としてネット発信すべきではないでしょうか。 私は死語を拡大解釈せよと主張したいのです。

勿論書くまでもない事かもしれませんが、丁寧な辞書作りの姿勢としては、やはり一応は共通語だが死語に近いし、ご当地では、現役バリバリの 言葉で、ハイ、これが会話例です、と一、二の文例を付記し、なおかつ、共通語の意味とは微妙に このような点が違います、と注釈があれば、(内容はともかく)満点の姿勢といえるのではないでしょうか。

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