日本は海洋国家ですから難破した漁民がアメリカやロシアの船に助けられて異国の人となった日本人は何人かおみえでしょう。がしかし、鎖国が続いた江戸時代の事、世界を知る事は当代の知識人にとっても困難な事でした。中学の国語教科書で習った杉田玄白の解体新書訳などの事を思い出してください。ハルマ和解(わげ)を片手にフルヘッヘンドっていったい何の意味???なんて何人もが幾日も悩んで、鼻は顔の一部分だけど盛り上がっている部分だから、さればフルヘッヘンドはうずたかしと訳すべし、なんて皆が感激した話が書いてあったでしょ。
前置きはさておき、今日は飛びっきりスケールの大きい話をしましょう。下呂市金山町下原出身の江戸時代の偉人・加藤素毛(そもう)。彼らは江戸幕府の命を受けて世界一周の旅に出て帰朝後は江戸はいうに及ばず、飛騨各地等で報告会の連続、わけても弁舌さわやかな加藤素毛の談は大変に好評であったと史実は伝えています。同語をキーワードにネット検索しますと百件以上ヒットします。お暇な方はお調べなさいまし。下呂市に記念館もあるようです。
さて、その約百件以上のネット情報を渉猟されたと仮定して佐七節の続きですが、うまれも育ちも飛騨の加藤素毛が飛騨各地で報告会、しかも馬鹿受け、となると飛騨方言で話したに違いありません。でないと馬鹿受けになりません。しかも、彼が一番苦労した事は何でしょう。多分、名詞です。いまでこそ日本人はどっぷりと西洋文化に浸り、日常生活上ありとあらゆる西洋文化に名詞の定義があります。言葉がなければ、英語辞書を片仮名読みすれば良いだけの事。"・・・ほれほれ、あのなんていうか、なんとかみたいなやつ、これにゃあおりぃもホントびっくりしてまってえな、心臓がホントとまってまったんやぜなあ。" のような調子のご講演だったのでしょうねえ。史実によれば洋行帰りの粋な加藤さまという事で追っかけギャルもおみえでした。ははは。勿論、飛騨のお嬢様方。うふふ。そして当の加藤素毛ですが、生涯独身を貫き晩年は郷土金山町下原で生涯を閉じておみえです。こんな人生ってやはり楽しかったでしょうね。ホント、所帯持ちの佐七も実は羨ましい限りです。 |