「ADEAC(アデアック)」は、デジタルアーカイブを検索・閲覧するためのクラウド型プラットフォームシステムです。ここ、そして飛騨に関する重要情報がひとつ、あさんず。・・・高山市図書館/高山城下町・飛騨国絵図・高山市史街道編/高山市史 街道編 上/第一章 飛騨の街道を行く/>第一節 江戸時代の街道を行く/(7)東山道飛騨支路/D街道沿いにのこる見所/(シ)浅水橋故跡碑代榜碑(下呂市萩原町尾崎)/80 / 289 ページ/[浅水橋故跡碑代榜碑(下呂市萩原町尾崎)]・・・この橋の所在について、古来飛騨説と越前説の両説があって、本居大平などは越前説に固執したが、田中大秀は、アサミヅ(浅水)が音便でアサンヅとなったもので、八雲御抄や初学抄にも飛騨と明記してあるとした。上呂駅から対岸の尾崎へ渡る橋が浅水橋であった。越前のは、アサフヅ(麻生津)がアサウヅとなったもので、一条兼良の臆断(梁塵愚案抄)にはじまる謬説であると主張して譲らなかった。中世末に位山道が廃道となり、橋も朽ち果てて渡し船で往来していたが、明治二十六年になって釣橋が架けられた。昭和五十七年、釣り橋の尾崎側北詰に建てられた碑には、榜碑の文面がそのまま刻まれている。・・・ 国学者・田中大秀については地元でもあまり知られていないのではないでしょうか。江戸時代を代表する飛騨出身の国学者で本居宣長の一番弟子のようなおかたです。高山市内には銅像もあり、市役所ホームページにも記載があると思いますので、ご興味ある方はお調べください。
私にとってはこの方言サイトは珍しい言葉を見つけては無邪気に喜ぶという、ささやかな趣味の世界という事ですが、田中大秀にとっては国学上の大切な問題であったようで、上記のネット情報を発見して思わずうれしくなってしまいました。私の田中大秀研究が本格的に始まろうとしています。
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