大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム心の旅路 |
時枝誠記と仁科芳雄 |
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私:実は時枝国文法・国語学原論の復刻版が文庫本で出版されているね。斜め読みだが、一応は読んでみた。超難解だから正直、書評を書きたいという意味ではない。私の心の旅路です。 君:あまり感傷的な出だしでは読者の皆様がついていけないわよ。 私:失礼、時枝誠記は東京帝国大学の教授・言語学者、仁科芳雄は京都帝国大学の教授・理論物理学者、ともに戦時中という同時代を生きたお二人だ。 君:話は太平洋戦争中の事ね。 私:その通り、時枝国文法はひとつにはソシュール批判。時枝氏は敗戦色深まる中、原稿だけは焼かれまいと戦火の中を逃げのびるようにしてお書きになった。国語学原論。 君:そうよね。そして仁科芳雄氏は。 私:当時の世界情勢は、・・いち早く原爆を開発できた国が次世代の世界の覇者となれる、と誰もがその事に気づいていた。ヒトラーも独逸の英知を集めて原爆計画を遂行した。日本では白羽の矢が当ったのが仁科芳雄博士。とにかく貧弱すぎる実験設備、予算、海のかなたから攻め寄る米軍、そんな中、仁科理論を考えた。 君:結果は米国のマンハッタン計画の勝利よね。 私:その通り。マンハッタン計画の中枢はロスアラモス研究所。同所はそのままに残され、今は観光地になっている。その昔、米国に留学していた時に訪れた事がある。 君:広島・長崎の方にとっては悪の殿堂でしょうね。 私:その通り、ただし eitaph である事にはかわりが無い。世界の人々がロスアラモスを訪れたらよい。 君:なるほどそうね。では時枝国文法・国語学原論については。 私:その調査は始めたばかりだ。私は国語学原論そのものよりも果敢にソシュールに挑んだ日本男子・時枝誠記さんという人間そのものに興味があるね。戦後は早稲田で教鞭をとられた由。迷いに迷って心の旅路コーナーにご登場願ったという訳。 君:なるほど、時枝先生はお喜びだわ。勿論、仁科先生も。あなたは時枝博士も仁科博士も時代に翻弄された、といいたいのでしょ。 |
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