当サイトでは方言区画論について長々と国語学の書のコピーを書くことはしません。
簡単に、明治以来、複数の学者が飛騨方言をひとつの方言区画として
扱ってきました。飛騨方言を取り囲むものは富山方言、石川方言、郡上方言、
美濃方言、長野方言です。
どの書にも飛騨方言の下位分類については書かれていません。
学者の興味を引かなかったのでしょうか。そんな事はありません。
書かれていないのは、下位分類が無いからです。
一部の飛騨方言サイトは北飛騨と言う言葉をお使いです。
北飛騨の方言、荒垣秀雄著、国書刊行会、昭和50年、
戦前における旧吉城郡の言葉約三千を記載、に感化されたものと筆者は考えます。
ただし萩原方言に言及する学術書、都築論文等がありますが、下位分類である事は
書かずもがな。
さて飛騨はだだっぴろいのです。
宮川、飛騨川、庄川、の三水系に分かれ、さらに幾つもの渓谷が集落を分けます。
飛騨方言が北と南、西と東で多少異なっている事、集落毎に語彙が多少なりとも
異なる事は当たり前の事、どこのお国の方言にでもある事でしょう。
瑣末な事です。
実は飛騨方言という言葉自体があまり正確な言葉とは言えないのでは
ないでしょうか。飛騨にあるのは高山方言です。古来、国分寺が高山にあった時代
から飛騨の中心が高山であったのだから当たり前とも言えましょう。
但し、高山、という町の名前があるのは江戸時代から。つい最近です。
でも室町時代に一時、古川に都が移ったにせよ、古代から飛騨の中心
であった高山ですから、飛騨にある方言は高山方言ひとつであり、
その下位分類は無い、と考えるととても話がすっきりします。
こんなだだっぴろい飛騨がたったひとつの高山方言であるには重要な
理由があります。平安時代に数世紀に渡り延々と続いた律令制です。
飛騨は租庸調を免れて、各村々・つまりは飛騨の津々浦々から人、飛騨工、を都に出したのですが、
その数は延べ数万。飛騨の津々浦々の皆が都への短期赴任者、都で共同生活を営み、
飛騨工とは名工の代名詞ですが、実際には雑役夫、賄い夫が含まれます。
飛騨人の言葉がひとつになるのは当たり前すぎる事ですね。
つまりは平安時代に高山方言とでも呼ぶべき飛騨方言の方言区画はあったものと筆者は考えます。
また江戸時代に飛騨は天領となり、行政・政治・商業・工業、あらゆる
ものが高山一極集中となるに及んで、
高山方言=飛騨方言であり、飛騨方言=高山方言であり、飛騨の言葉が完成したのでした。
さて当サイトのトップページに飛騨方言の定義を面白おかしく書いていますが、
あくまでも佐七なりの落語の話という事でお願い申し上げます。
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