大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

方言資料探索の場としてのユーチューブ

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私:このサイトを簡単に紹介させていただくと、2005/02/13 スタート、15年前だ。トップページの挨拶にお書きした通りだが、高校三年間(1969/4-72/3)の国語、特に古典の授業が基と言ってもいいだろう。
君:スタートのきっかけは?
私:正月の中学同窓会だね。仕事でメールなるものを駆使する事がトレンドになりつつある頃だった。同級生で約三分の一がメールをやっていた。携帯を持つものも増えていた。早速に私が管理人となってヤフーサーバーで同級生限定のサークルを作成、それはもう一日に数十通ものやりとりがあったが、メール文に飛騨方言を交えるとこれがバカ受け。ただメールのチャットでは面白くないと思い、このサイトを立ち上げたという次第。またこれが同級生に受けた。サイトは世界に向けて発信という事で、これがまた時代を反映していたんだよ。
君:時代を反映とは?
私:令和の時代に信じられないだろうが、当時は方言をテーマのウエブサイトが花盛りで、それこそ数えきれないほどのサイトが全国の方言を紹介していた。
君:ほほほ、あなたも負けじと飛騨方言についてアップしていたのね。
私:その通り。兎に角、白紙に近いサイトに内容を盛る訳だから、話題には事欠かない。それにネット検索すると、県内あるいは近隣県のサイト情報も目に留まる。語彙を比較検討すると次から次へと発見があり、それを書く、というような事を毎日やっていた。また熱心なサイト管理者が私宛にメールをくださって、役だったというお褒めの言葉や、あるいは私が私のサイトで解決できていない謎(例えば語源)については丁寧にお教えくださったりとか。全国に方言を通じたメル友が出来てしまった。
君:へえ、方言好きのお方は結構、多いのね。
私:当時はラインもユーチューブも無かった時代。実は open BBS が全盛の時代で、これも星の数ほどあった。投稿はしなくても読むだけで随分、ためになるサイトも多かった。ただし泣き所がひとつ。
君:ほほほ、飛び交うのは文字情報だけ。つまりは語彙研究、文法解釈などには支障はないけど、話してなんぼ、の方言学ではアクセントの研究などには使い辛いわね。
私:その通り、アクセント学もひたすらアクセント記号の時代だった。でもアクセントはまだましだ。正確に記号表記が出来るから。問題はイントネーション、これだけは実際に聞いてみないと。アクセントとイントネーションの違いを論ずる事が出来なければ方言を語る資格はないのだが、実はこれがわかっていないユーチューバーが大半、但し彼らが役立たずでは断じてない。彼らは貴重なインフォーマント、つまりは方言話者である事には違いない。私にとっては勉強になる素敵なお話しぶりだ。現地調査が必要ない時代なんだ。
君:言語の記述の問題、それは戦前も、あるいは国学研究も同じだったのよ。
私:そうだね。飛弾で唯一の方言学の学者様と言えば故・富山大教授・都竹通年雄先生(萩原町尾崎出身)だが、彼の手法は全国の方言話者の口述を大学ノートに記号で記載、東条操の方言区画論完成の影の立役者。ここ数年、おびただしい方言ユーチューバーからの発信をどうお思いになるだろうか。
君:つまりは方言サイトから方言ユーチューブへ時代が変化してしまったのね?
私:正にその通り。かつてのネットの方言仲間は誰もいない。あれだけあったサイトも今は皆無に近い。15年間、方言サイトを運営しているのは僕ぐらいではないだろうか。
君:でも、このサイトもブランクがあるのよね。
私:履歴の通りだが 2008/12/31 で一旦休眠、2019/12/04 に再開している。
君:どうして休眠したの?
私:高3だった次女の大学受験さ。親子で戦う受験戦争、のんびり方言サイトをやっている場合ではなくなった。
君:でも四月から再開したら良かったのに。
私:・・実は浪人に。どうしても国立医学部の夢が諦められなかったそうだ。
君:なるほど。どのご家庭もあるわよね。
私:何とかして娘を励ましたい、そんな気持ちでオートバイ免許に挑戦したんだ。
君:えっ、どうしてまた。
私:一浪とは言え、来年の試験は十か月後、この間を如何に計画的にやるかが勝敗の分かれ目でしょう。だから自転車しか乗った事のないズブの素人が大型自動二輪免許に挑戦、二輪指南本を買い漁り、研究し尽くして夏には大型自動二輪免許を取得したんだよ。お父さんもやるね、という事で娘には励みになったらしい。娘は10か月で夢を叶えた。
君:じゃあ、翌年から方言サイトを再開したらよかったのに。
私:実は二輪指南本を買い漁り、研究し尽くして、という事をブログに書き始めたら、これが方言以上にバカ受け、あっという間にフォロワーが数百人になり、娘が合格するや調子に乗ってしまい全国各地を気ままに二輪一人旅した事なども書いていて、辞めるに辞められなかったんだよ。延べの閲覧者はざっと百万人近かった。ユーチューブも開始したが、数十万の訪問者。
君:ほほほ、その二輪ブログもユーチューブも三日坊主とはね。それにしても今のこのサイトは人気が無いわね。
私:全然、気にしていないよ。2008/12/31 に筆を折るまで実は当サイト訪問者は35万人ほどになった。当時の高山市の人口が5万人だから、その七倍。功なり名を遂げたんだ。どんなスターもやがて売れなくなる時が来る。
君:でも、どうして昨年末に再開したの。
私:それまで方言学の書を買い漁っていて斜め読みしていたが、この際はキチンと読み返そうと思ったからさ。それで終わりにしようと思っている。もうすぐ67歳になる。つまりは死ぬ準備だ。虎は死して皮を残し、私はサイトを残す。文は人なり、初期の原稿には学問的な誤謬もちらほらみられる。それの推敲作業も大切な仕事だ。
君:まさかそれが前置きなの。ユーチューブの話が無いわよ。
私:じゃあ早速に。当サイトにユーチューブコーナーを設けて既に数か月たった。この部門は今後、どんどん内容が増える可能性がある。
君:確かに、話してなんぼ、のサイトには必要よね。いっその事、方言ユーチューバーを始めたらどうなの。若しバカ受けしたら新たな生きがいになるじゃない。
私:それだけは勘弁してくれ。僕はシャイなんだ。書くのは大好きだが、人前で日本語を話すのはあまり得意じゃない。例えばこんなサイトがある。うすきゆか

君:あらあら、元気なお方ね。
私:2020/01/14 に登録となっている。つまりは半年前。再生回数が数千の動画も幾つかあるが、再生回数が4万以上の動画が幾つもあり、彼女はユーチューバーの才能がある。それもそのはず、幾つかの理由がある。
君:例えば?
私:彼女はラジオのアナウンサー。プロなんだよ。
君:なるほど。確かに声は一流よね。
私:それにキャリアがものを言う。彼女は新潟の膨大な地域情報を知っている。そして、それを人に伝える方法、つまりはボイスについても訓練を受けてプロにおなりでしょう。口角の動きを見てもわかる。
君:なるほど。
私:それに擬音効果とか、動画編集力とか、あるいは前を向いてお話しなのはプロンプターという機器を使っていらっしゃるからだね。テレビにもお出なのだろう。それに、あの堂々とした態度。彼女は常に人前に出て話す事になれていらっしゃるんだよ。
君:やはり、あなたにはユーチューバーは無理ね。
私:TEDに挑戦するにも年齢的に無理、今は聞くのみだ。30歳代で米国の学会で何回も発表していたころが懐かしい。ロサンゼルス、ヒューストン、サンフランシスコ、サンディエゴ、カナダのトロント。Those were the good old days when I had presented my paper(s) using medical English fruently as many "A" time as I had wanted.

君:聴くのが辛い。寂しい歌だわ。
私:その通り。僕が高1の時の歌だ。ビートルズのポールマッカートニーがメリーに捧げた歌。この歌詞とメロディーにより無名の彼女が一躍、世界の歌手になってしまったんだよ。元歌は哀愁のロシア民謡だ。歌詞にあるように、君も僕もそれぞれの人生を切り開き、既に人生のかなりの部分を使い果たした。今後の二人は毎日こうやって元気でいる事だけを感謝して生きていけばいい。友人の何人かは、いや後輩ですら、既に沢山の知己が死んだ。恩師の先生方については推して知るべし。
君:サイトを更新し続けるという事が貴方がまだ生きている証なのね。
私:その通り。
君:毎日でもなくてもいいから、末永くお書きになるといいわ。
私:ははは、書きたくない時の常套句というのがあるんだよ。
君:えっ?
私:"Going for fishing" と書けばよい。魚釣りに行きます、という事だが、これは欧米人にとって一、二週間ほど夏休みでどこかへ出かけます、という意味だ。
君:なら、そうなさいませ。
私:いや、そうは書かないね。
君:?
私:わざわざ泥棒さんに留守を教える事もなかろう。旅行先で書いてアップするよ。
君:さだめて/みち道/の/にき日記/にて/サイト原稿/しるさ/るる/あ/が/せ/の/つつがなき/こと/しら/まほし。

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