大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学<

口語資料としての日葡辞書

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左七:日葡辞書を読んでいて感激する言葉があったよ。
家内:大げさね。飛騨方言の語源がひとつあったのね。
左七:ははは、その通り。 Tozaigo だ。当歳子、との注だ。
家内:トウザイゴと読むのね。どんな意味かしら。
左七:赤ちゃんの事だよ。生まれて一歳に満たない赤ちゃん、という意味だ。あるいは、その年・つまりは当年に生まれた子、という意味かな。昔はすべて数え年だったからね。
家内:古語辞典もお調べになったの?
左七:勿論だ。しかしどの書にも記載は一切なかった。これはどういう事を意味していると思う?
家内:ほほほ、質問にならないわ。古典文学には出てこない言葉、つまりは当時の俗語だったのよね。
左七:その通り。さすが古典文学にはお詳しいね。では何故、日葡辞書には記載されているのかな?
家内:ほほほ、またからかいね。俗語辞典には何故、俗語が収載されているのか、というご質問ならば、それは編者の方針であったから、が答えかしら。
左七:図星だ。付け足す事もないが敢えて。イエズス会がこの辞書を刊行した目的は、日本に来た宣教師にいち早く大衆の言葉をマスターしてもらう事にあった。高校生の目的は古典文学をマスターし、大学受験に勝つ事だ。
家内:飛騨方言に当歳子がある、だけでは結論は平凡よ。ありきたりのお話だわ、ほほほ。
左七:待ってたぞ、その言葉。飛騨方言に当歳子は無い。飛騨にあるのは実は、当歳馬・とうざいま、だ!ポニーの事さ!
家内:懐かしい言葉・当歳馬、という事ね、ふふっ。
左七:待ってたぞ、その言葉も!実は懐かしいのは僕じゃない。僕のおふくろだ。僕は今、あれこれ飛騨方言の資料を漁っている。当歳馬をみつけた。知らない言葉だ。おふくろに聞いた。答わく、ほう、なつかしい言葉を、とおふくろが言ったのさ!
家内:わかったわ。飛騨では戦前あたり、あなたの村では盛んに馬が飼われていた。お母様の子供時代の事なのね。歳をとるほどに幼い日の事がお懐かしいのね。
左七:ありがとう。そこまでよく理解してくれて。君と夫婦が楽しいよ。
家内:お母様は、当歳馬、という言葉に癒されて。そしてあなたは、当歳馬の語源・当歳子、を日葡辞書に発見して感激したのね。
左七:その通り。古語辞典を調べるだけでは方言の語源は解明できない。方言は口語であって、文学ではない。方言の語源は中世の口語資料・日葡辞書にあたらないとだめなんだ。当歳子の馬、と言っていたのが、当歳馬になったに違いないよね。
家内:俗語は俗語辞典に限るという平凡な結論のようね。あなたの才能は平凡な事に感激できる事ね。ほほほ。

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