大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学 |
ありをりはべりいまそかり |
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私:今日は表題の事を少し話そう。 妻:古典の動詞じゃないの。方言と関係があるの? 私:その通り。方言は全て古典だ。 妻:受験勉強なんか全部、忘れたわ。 私:そこが君のいいとこなんだよ。試験が終われば全て忘れ、でも何か課題があれば凄い集中力で解く。大学はひとり全優だったそうだが、皆忘れたかい? 妻:ええ、勿論。知識の蓄積がものをいう文系女子じゃなくて、私はリケジョ。ありをり・・って何だったっけ? 私:ははは、.ラ行変格活用(ラ変)動詞さ。つまりは四つしかない。高校生なら誰でも知っている。 妻:あったわね、そういえば。 私:四段、上一、上二、下一、下ニ、カ変、サ変、ナ変、ラ変だ。 妻:そうそう、そういうのあった。 私:どのように現代語に変化したと思う? 妻:だから受験が終わったらパッと忘れてしまったのよ。 私:君らしいな。割と簡単だな。四ナラ下一は五段になった。下二は下一になった。上一・ニは上一になった。カ変とサ変は昔も今も変わらない。 妻:今日はラ変が五段になったお話しなのね。 私:その話も面白いね。現代語でラ行動詞は沢山あるのに、古典では四つしかなかったのは何故か、とかね。 妻:とてもつまらないわよ。問題が答えだから。 私:確かに。じゃあ、話題を変えて今日は「存在表現」一千年の歴史で。 妻:へえ、それは面白そう。 私:おっと、そうこなくっちゃ。では質問。四つで一番古いのはどれだろう。 妻:「あり」か「をり」のどちらかね。「はべり」「いまそかり」の上品言葉ではないと思うわ。 私:その通り。「をり」は「あり」の転だそうだから最も古いのが「あり」。でも両語とも語頭がア行で、つまり和語。万葉集にある。 妻:そうなのね。じゃあ和語「いる」はどう? 私:おっと、そうこなくっちゃ。和語じゃなくて近世語でしょう。室町時代あたりからの命令形接尾語(辞)「い」、せられい、等から派生したのじゃないか。日葡辞書には「いる」の記載が無いんだよ。日葡辞書にあるのは「をり・おる」VoriVoru。 妻:「ぼり・ぼる」じゃないのね。あなた、いつポルトガル語を覚えたの? 私:隣町・美濃加茂市の木沢記念病院の石原哲先生に刺激されたから。彼は医学ポルトガル語辞典を出版なさったぜ。私は弟子入りしたい位だ。 妻:あなたは語学や言語学にのめり込む変人だけど、お医者様が辞書出版とは、上には上がいまそかり。 私:座布団一枚。石原哲先生は凄いお方だ。脱線したから元へ。方言「いる(東京)」「おる(関西)」で問題となるのが東西対立だが、名古屋育ちに質問、中部は西か、東か? 妻:簡単な問題ね。答えは関西に決まっとる。名古屋も飛騨も。 私:決まっておる、方言で解答か、これも座布団一枚。ところで「センスおる」といわないのは何故? 妻:不自然だからよ。人や生物には「ゐる・をる」、無生物には「ある」、それが国語よ。むむ、ちょっと待って。「関西です。」の主語部分は「答えは」、つまり体言だわ。わかった、方言「おる」の東西対立は一部の体言だわ。方言「おる」には東西対立する体言としない体言があるのよ。私の勝ちね、方言先生。 私:とても素敵な明解答だ。さすがリケジョ、存在表現の東西対立は主に人や生物が対象であって、無生物は例外なく全国的に「ある」。千年ぶれてないな。つまりは対立が無い。哲学的とも言えるね。別稿・ 妻:それにしても、高校時代の事、よく覚えているわね。 私:住英明先生のロマンチックな古典授業は覚えがある。こんな感じ。3:41の部分「ありをり・・♪」「古典の授業好きですか♪」 妻:あなた、「氷菓」「君の名は」といい、アニメにはまりすぎ。 私:違う、VOCALOIDヤマハが開発を担当した音声合成技術及びその応用製品。音楽さ。 妻:コンビュータ、なるほどね。 |