大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学 |
文末詞 |
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私:医者の片手間に国語学の聞きかじりをする事に限界も感じている。文末詞っていったいどこに定義されているのだろう。手元の成書にあたってみたが、定義・歴史などを記載したものは無かった。日本で唯一と言ってもいいのだろうが三省堂・明解方言学辞典にも記載が無い。大修館書店・日本語文法辞典にも記載が無い。 君:ほほほ、じゃあ今までどういう意味で使っていたの。 私:要は終助詞。国語辞典にある終助詞ならそれは共通語の文末詞だろう。方言らしさを文章化した場合、終助詞に如実に表れる。名古屋だと「そうだなも(そうですね)」とか、高知方言で「いかんぜよ(駄目ですね)」、とか京言葉で「そうどすえ(そうなのです)」位は小学生でも知っているよね。実際には助動詞・複合助詞等々が複雑に絡み合って出来た文末表現だから「なも(尾張)」「ぜよ(土佐)」「どすえ(京)」等が文末詞です、と漠然たるイメージをもって書いていたのだが。僕なりの定義は狭義は終助詞、広義は用言の活用部分全て。 君:やはり定義は欲しいわね。 私:つくづくそう思う。手元の成書での勉強に限界を感じて、先ほど来、ネット検索を開始した。言語学者・方言学者・広島大学名誉教授の故藤原与一先生の造語ではないだろうか。多分、先生が日本一の文末詞男。以下は残念ながら絶版。古書情報もゼロ。オラが町の可児市図書館に無し。岐阜県図書館と国立国会図書館には蔵書あり。ヤッホー ![]() 君:一度、お暇な折に岐阜市に足をお運びになる事ね。 私:内容判明。 第1章 日本語での歴史的存在としての文末詞 第2章 日本語文末詞の現存立 第3章 世界諸言語上に「文末詞」を観る 第4章 近隣諸言語と日本語 第5章 西洋語内にうかがわれる「文末詞比肩性」の文末要素 第6章 日本語文末詞-その現存在(南方島嶼の場合) 君:若しかして実は暇なのかしら。なら多分、長生き出来るわよ。 私:リタイヤ出来る時期だね。町医者には定年が無い。周りを見ても死ぬまで働く先生が多い。それにしても文末詞のネット情報すくなすぎ。がっかりだ。 君:まあ、焦らずに、思い詰めずにね。 私:ははは、裏返しだが書きたい放題という事か。 君:何を。若しかして掘り下げ記事ね。 私:そう。所謂、字づらの共通語訳は簡単だ。方言辞典各種があるし、逆引きの方言辞典だってある。問題はその後だ。 君:その後の問題とはどういう事かしら。共通語訳だけでは解決できない問題があるという事ね。 私:その通り。共通語訳そのものが、実は素人的間違いの事だってあるだろう。僕は「ばってん(長崎)」は順接かと思っていたが、実は逆接確定だったのか。思わず汗。(@_@); 君:でも正しく共通語訳できれば良しとしなくちゃ。 私:いや、共通語訳は当然として、文末詞の解釈はそれだけじゃ駄目なんだよ。話者がどういう気持ちを伝えたいのか、更には、その気持ちの背後にある基本的な気持ちまで理解できないと文末詞を理解した事にはならないんだ。 君:飛騨方言で例えば。 私:「そしゃ、そやぞ」。共通語訳では「そうすれば、そういう事です」。その意味は「おう、それは妙案だ、よしそれで行こう」。という事ですかさずハイタッチ。 君:確かにね。方言は同郷の人達同士でなくては相互理解が難しいかも知れないわね。 私:次いでの例文。あれ、こーわいさ(救いようがないこの俺)。いつもあの日を思い出いてまうんやさ(サ行イ音便+テマウ文末詞+飛騨方言文末詞ヤサ)。 君:いやん、馬鹿。 |
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