大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学 |
上代特殊仮名遣い及び近世琉球方言音韻からみた上代における上二段動詞「ひる干」存在の証左 |
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どの古語辞典にも記載されている事なので、知識の安売りという事にもなりますが、ご容赦くださいませ。上代特殊仮名遣いを極々簡単にご説明しますと、上代、つまりは古事記の頃にはイロハ48の音韻のうち13個の清音「きひみけへめこそとのよろえ」と7個の濁音「ギゲゴゾドビベ」合計20個の音韻の各々について二種類あり、ア行とヤ行の「イエ」も別の音韻であり、「ジヂ」「ズヅ」も別の音韻でした。判り易く説明しますと、現代は清音44+濁音18ですが、古代は清音60+濁音27の音韻があったのでした。古代人の音韻が現代より華やかかつ繊細だったという事になります。明らかに異なった二種類の音韻であったという13個の清音が区別されなくなったのが平安時代で、今日に至っています。 平安時代以降ですが、新たな音韻が輸入され、しばらくするとイロハ48の音韻に吸収されてしまう、その繰り返しでした。つまりはイロハ48音韻は日本語の最終完成型とも言えますね。例えば明治時代に無理をして「ギョエテ Goethe」と表記していたドイツ語ですが、現代では表記ならびに音韻は「ゲーテ」です。 上代特殊仮名遣いの存在に日本人として初めて気づいたのは本居宣長ですが、彼は音韻の事までは気づきませんでした。古代に二種類の音がある事にお気づきになったのが東京帝大国語学教授・橋本進吉、その後、古代の音韻、つまりは謎めいた古事記の記載の解析が進み、幾つかの新発見があったのでした。そのひとつが動詞「ひる干」は上一段動詞ですが、古代には上二段動詞だったという事です。今日はそのお話を。 以上が前置きです。動詞「ひる干」は上一段動詞ですが、古代には上二段動詞だったという事から、全国の方言にその痕跡が無いか調べてみたいと、先ほどですが、フト思いました。方法は至って簡単です。上一段活作用なら「ひ・ひ・ひる・ひれ・ひよ」ですし、これを上二段で活用させれば「ひ・ひ・ふる・ふれ・ふよ」です。つまりは上代特殊仮名遣い「ひ」に限っては「ひ」対「ふ」に近いような明瞭すぎる音韻の違いがあったのであって、つまりは現代語の方言で「ふ干」の音韻の言葉があれば、それこそつまりは生きたシーラカンス、現代に生きる古代の音韻、上代特殊仮名遣いの名残り、という事になりましょう。古文を学ぶ高校生なら誰でも容易に理解できる初歩の理論というか、中学生でも判る理屈でしょう。 幸いな事に、私の手元には日本方言大辞典があります。20万語ほどの語彙があります。アイウエオに並んでいるわけですから、早い話が、「ふ」で始まる言葉をまずは片っ端から見ていけばいいのです。そしてその言葉の漢字表記が「干」であれば大発見という事になります。 さあ、仮説を立てる事が出来ました。作業手順も決まりました。先ほど来ですが、ハラハラドキドキしながら日本方言大辞典の「ふ」で始まる言葉をひとつひとつ、見ていきました。プリーズリメンバー、若し無ければ諦めましょう。20万語の語彙で語中あるいは語尾に「ふ」を探すのは不可能に近いでしょう。ただし相手は日本語なので連体形「ふ」なら語頭に決まっています。ですから此の辞書調査は無謀な賭けではありません。まずは、辞典の中に「ふ干」はきっとあるぞ、と信ずる事です。 やったぞ、思わず歓声を上げてしまいました。「ふぃーしゅ」沖縄県首里、意味は「ひしお干潮」です。「ひしお」そのものが方言で、意味は引き潮、三重県志摩郡、長崎県南高来郡。熊本県です。本土方言では上一段連体形「ひ」で「しお」に接続するのに対し、琉球方言では上二段連体形「ふ」で「しゅ」に接続していたのです。すべて辻褄がぴたりと合います。琉球方言はチョッピリ訛ってるね、という問題ではないのです。本土においては平安時代には(ハ上一)ハ行上一段「ひ」の幻の活用・上二段活用は平安時代には失われてしまったのにも関わらず、沖縄では今も尚、「ふ」の音韻の方言の形で立派に生き延びていたのでした。健気(けなげ)ですね、可愛らしいですね。がはは 学問で大切なのはヒラメキです。今回ですが、若しかしてと思い仮説を立てて作業に入るまでに要した時間は数分でした。ただしアドレナリン全開で黙々とした辞書とのにらめっこが続き、そして遂に飛び込んできた語彙、方言の神様とのご対面の瞬間です。つまりは私の今回のヒラメキ・発見も方言学的には大した事ではない、という意味なのでしょうね。おそらくは琉球方言について今後、学んでいく事があれば、どこかの書籍に既に書かれているような事かも知れません。 でも、いいのです。私は誰かのために学問をやっているのではありません。自分の為にやっているのです。昨年に当サイトを再開して本当に良かったと思いました。一日に一つくらいは学んだ事を書きとどめておかなくっちゃ、という事で、今日も方言の神様にお会い出来ました。駄文を最後までお読みくださいさいました貴方様にも重ねてお礼申し上げます。 |
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