大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

俚言の定義

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私:俚言という言葉の発案は江戸時代の太田全斎、国語辞書・俚言集覧26巻にあり。実は太田全斎自身は方言という言葉を嫌い同意語として俚言の言葉を発案したのだろうね。
君:つまりは全斎さんの定義は、俚言とは方言の同意語。
私:そういう事。でも、今日的な意味では全国共通方言に対峙する概念で用いられているのじゃないかな。ただし俚言と言う用語について明確に記載された資料は無い、と僕は思い込んで半ば諦めていた。
君:ほほほ、なにかみつけたのね。
私:ああ、最近は手当たり次第に方言関係の資料を買い漁っているが、そのひとつに明治書院・講座日本語の語彙漸11巻。第8巻・方言の語彙に記載があった。執筆は本堂寛先生。盛岡出身、東北大卒、青学名誉教授、国語学者。
君:手短にね。
私:ああ。先生によれば、「俚言」とは、標準語と意味内容は同じでありながら、それと音声的対応の全くない語の事。
君:という事は全国共通方言の中にも、或いは、地域共通方言の中にも俚言の語彙は存在する、と言う意味ね。
私:そうなんだよ。そうなってしまう。例えばうどんの事を東京ではタヌキ、あるいは関西ではキツネとか。標準語・共通語は「うどん」なので、キツネもタヌキも俚言という事になるのかな。僕自身としては各種方言資料を今まで読み漁ってきたが、多くの記載は、俚言とは孤例の事。つまりは音声的対応の全くない事に加え、更には全国広しと言えども該当する特定地域においてのみ話される方言語彙と認識していたのだけれどね。やれやれだ。
君:広義と狭義の違いじゃないの?
私:そのように解釈したい。広義では標準語と音韻対応の無い方言語彙。狭義では標準語と音韻対応の無いのみならず特定の地方のみに分布する方言語彙。
君:そう考えれば左七君も救われるのね。
私:まあそんなところだ。それにしても音声的対応とは言い得て妙。一本とられた。
君:音声的対応とて広義・狭義の捉え方が可能よ。日琉祖語の観点からは本土方言と琉球方言には音韻の対応があるとか。チュラサン、とは、清らさあり、の意味でしょ。
私:そうなんだよ。沖縄料理のチュラガー、これは、ツラ面+カハ皮だから明らかに音韻対応がある。
君:聞いても語源がさっぱりわからない・どうしてこんなヘンテコな言い方するのかな、と感ずれば音韻対応が無いから俚言と考えてはいけないという意味かしら。
私:その通り。ただし、今回の記事で紹介させていただくのは本堂寛理論という事。日本には学会が定める方言学用語集なるものは無い。
君:あなた、今後の記事はどうするおつもり?
私:悩み続ける事を記事にするつもりだ。悩まなくても良い事に悩んでしまう。それが人間だ。
君:ほほほ、どうぞ、勝手にね。
私:これで今夜の締めくくりにしよう。俚言にとって大切な類似語があって、それは「かご訛語」。
君:俚言と訛語の違いは?
私:俚言には標準語に対して音声対応が無く、訛語は音声対応がある。例えば飛騨方言で坂は「サガ」、アクセント対応も東京式内輪でガチの東京アクセント。濁音になっただけの事であり、つまり「サガ」は訛語であって俚言ではない。
君:チュラガーとツラカハ面皮って音声対応があるというのかしらね。ほほほ
私:国語史的に考えると日琉祖語だからね。学会の常識。ははは
君:でも微妙なお話ね。
私:そこが国語のいいところ。自然科学じゃない。要は・・・なんとなくわかればいい。
君:ほほほ、わかるわかる。

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