大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

俚言の成因

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私:昨晩の続き、俚言がなぜ生まれるのか、という事を少し考えてみたい。基本的には明治書院・講座日本語の語彙全11巻、の第8巻・方言語彙、の本堂寛(国語学者、1932年8月2日 - 2021年11月30日、故青山学院大学名誉教授、岩手県盛岡市出身)論文を踏まえている。ざっと八つばかりをお書きだ。先生は昨年にお亡くなりだったか、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
君:まずは簡単に説明してね。
私:うん。僕なりに字句を書き換えての本書の紹介である事をあらかじめお断り申し上げる。
★標準語では漢語で俚言では和語のパターン。
★標準語では和語で俚言では漢語のパターン。
★擬音語・擬態語が俚言となるパターン。
★標準語からの品詞の転成。
★標準語では名称の無い箇所・状態を表す俚言。
★標準語とずれた意味内容になっているパターン。
★話者による意味内容のゆらぎ。
★標準語の意味内容を表す語を待たないパターン。以上
君:例があるといいわよ。
私:うーむ、残念ながら本堂論文は出身岩手県の現地調査に基づく考察という事で、例は全て岩手方言。従って左七にもチンプンカンプン内容であるし、論文には、この分類が必ずしも妥当だとも考えてはいない・俚言について考える一つの手がかりになれば、との内容だ。
君:総括できないかしら。
私:簡単に言うと俚言の音韻からはその語源が類推しがたい語彙。これに尽きると思う。
君:あなた自身の経験は?
私:飛騨方言自サ五(自動詞サ行五段)「げばす(失敗する)」などが懐かしいね。語源を突き止めるのに十年ほどかかった。
君:語源は?
私:かけはずす。日葡に記載がある事に気づくのに十年かかった。
君:ほほほ、他の例は?
私:一般名詞「がで(分量)」。これも一年の長きに渡り、ありとあらゆる辞書のひとつひとつの語彙を吟味したが、使い出、の転であろうかと、ある日突然に気が付いてしまった。
君:文献、つまり語史は?
私:残念ながら皆無。俚言について僕の言いたい事はたったひとつ。
君:あら、音韻からはその語源が類推しがたい、とお書きだわよ。
私:そう。その通り。音韻変化がとんでもないパターンの場合、語源探しは格段に難易度があがる。
君:音韻変化って、沢山あるわよ。
私:ははは、とんでもないパターンって実はひとつしかない。答えは既に書いた。
君:ゲバスとガデ。・・はて?・・・ほほほ、わかったわ。語頭のモーラの脱落ね。
私:まさにその通り。逆に言えば、語彙の語尾変化がどうであれ、訛語であれ、語源を考えるのは数十秒もあれば十分だろう。脱落したモーラに気づくのは何年もかかるんだよ。
君:うーん、私、もうひとつ気づいた事があるわよ。
私:ははは、お察しがいいね。ヒントはアクセントだよね。
君:そうね。つまりは俚言には語源たる語彙が中高ないし尾高のアクセントで語頭のモーラの脱落が生じてしまうという事ね。
私:その通り。逆に言えば、頭高アクセントの語彙は、訛語であれ、その他の音韻であれ、語源の類推は容易で、俚言にはなりにくい。
君:まことに切りが無いわね。左七君は上記の八パターンでは到底、納得できず、細分類かつ追加の分類も必要だと言いたいのよね。ほほほ

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